悲喜

前に住んでいた家の大家はいい人だった。70近いお婆さんだが、挨拶をするといつもにこやかに返してくれる。家賃の滞納を報告しに大家の部屋に行くと、悪くした足を引きずりながらダンボールから大量のみかんを引きずり出して(まさに引きずり出す)くれる。

なぜか深夜12時過ぎに路上ですれ違う事が多いのが多少気がかりだったが、いやみのない素敵な女性だった。

ある日、とある手続きが完了した旨を伝えに数ヶ月ぶりに大家に会いに行ったとき。書類などを手渡し、事務的な会話が済んだら、突然彼女がハラハラと泣き始めた。

大家が「貸しはがし」という災難にあったということは以前より聞いていたので、そのことでつらいのか、と訝りながら「どうしたのですか?」と問い掛けると、鼻をすすりながら答えてくれた。

「なんとか、お金の工面がついたんです・・・」

「わあ、よかったですねえ。」

「○○信用金庫さんがお金を貸してくださることになって・・・」

「これでなんとかなりそうですか?」

「○○信用金庫さんに審査を依頼してて旦那と来る日も来る日もいい結果を期待して待ってたんです。すると電話がかかってきて」

「ほうほう」

「旦那が出たんです。そして審査に合格した旨を聞いた旦那が喜びすぎて転んで死んでしまったんです・・・」


なんとも喜劇的なその出来事に思わず私は笑いそうになってしまい、それを抑えると二の句が継げなくなった。沈黙に耐え切れない私が必死で搾り出した言葉がこれだった。

「ハハハ・・・そりゃあ災難ですねえ」


人生泣き笑いなんていう。思い切り笑った直後に泣いた人、それを軽く愛想笑いでかわした私は自分に泣いた。泣き笑いのサイクルが短いなんてロクなことない。


幻想足りて諧謔を知る

下の写真をみていただきたい。上からみっつめ、コカン・コキーヌである。



我が目を疑うばかりであるが、確かに存在するコカンコキーヌ。しかも婦人服。

Googleで検索をしてみると、様々な声があがっていた。

「コカン・コキーヌ超かわいい。」
「オリーブ少女御用達!」


読めば読むほど女性への幻想が崩れていく。

先日飲み会に出席したとき、ボーダーにメガネのすてきなオリーブ少女がいた。ああ、私の好みにずっぽりだなあと彼女をみていたのだが、酒が進むにつれ彼女の挙動がおかしくなり、最後には何も言わず隣にいた私の友人(男)の乳首をTシャツの上からひたすらこねくりまわしていた。

その夜はオリーブ少女への幻想の崩壊と自分の乳首の魅力への絶望とでやけ酒をしたものだ。

そのような体験が重なった今。女性はぼんやりとした姿を失った。幻想はもう足りきった。僕は生身の女性から自分の身を守るために、諧謔を武器に胸を張って女性に話しかけよう。

「今日は君のコカンコキーヌを思い浮かべて家でコカンコキーヌでした。」


まあ、どうでもいいことだ。

バタバタしていて更新が出来ませんでした。いや、引越ししたんですよ。で、どうせ外食ばっかりするし、テレビも全然みないしというわけで、引越し先にはベッドと本とPCだけしかもっていってないのですが。

夜、氷を入れて焼酎を飲むことが出来ないことに気付いて、ものすごく歯がゆい思いです。こんなことだったらシベリアの永久凍土のあるあたりに引っ越すんだった。マンモスも食えるし。

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JRの改札口で使えるICカードのSUICA。最近は構内のコンビニで使えるそうで、試してみました。ペットボトルのお茶を置いてレジ横の機械にピッとする。ホウホウ。これまでの残高の2500円から147円引かれて2353円になったわい。身に触れる新しさがちょっと心地いい。

まあ、そこまで利益は感じない。お金出しておつりをもらうということって日常の当然通り抜けるタスクだし、むしろ他者との交流のかなり大きな部分をしめてたりして、全く困難を持っていない。「おつり手渡し」といううら若き店員の女性との数少ないふれあいを失うのは実にもったいない。(逆に言えば店員が全て汚らしい老婆だったら使う価値はあるかもしれない。)

駅の切符自販機まで歩かなくてはいけない、とか、財布からカードを出さなくてはいけない、という明白な面倒さとかをなくした改札での使用は本当に素晴らしい技術だが、今のところコンビニでの利用技術にはあまり魅力を感じないなと思ったしだい。そのくらいだったら、とっとと自動販売機で導入すればいいのに。

そんなことを電車の中で考えていたら目的地に着いた。財布を取り出し、改札にピッと当てると160円引かれて、2193円。ああ、なんだか気持ち悪い。端数をなくしたい。

しかし、SUICAでチャージできる金額は1000円、3000円、5000円、10000円と決まっている。この端数のお金を使い切るにはコンビニを再度利用するしかないではないか。下の桁を0にする為だけにまたコンビニを使わなくてはいけない。

いらないものを買うことなんてできるか!という方は今回買った147円のペットボトルをあと9本買わなくてはいけないハメになる。それで1470円になってOKである。このような例は極端ではあるが神経の細い人は少なくとも2度以上のコンビニ利用が必要なのである。

なるほど。色の付いたお金。その拘束力の強さの一端を見た思いである。


また似たようなシーンを出してしまったがこれは自分にとって大事な心象風景なのかもしれない。

先週、シベリアの永久凍土に冷凍されたマンモスを探すという番組が放映されていた。以前よりこういったドキュメンタリーは好きなので見てみた。

若者たちが隊長の指示を受け凍土を歩き、そして掘る。それを淡々と報告する低い声のナレーション。静かで過剰な演出のない私好みの番組だ。

そう思って見ていると、隊員の動きがにわかにあわただしくなってきた。どうやら何かを発見したようだ。隊員たちが抱えあげたのは人の胴体くらいの大きさのマンモスの足だった。これにあわせてナレーターが低く響き渡る声で言った。

「ファインディング・マンモス・・・」

なんだ。この決め言葉は。ナレーターはその後もマンモスの頭や胴体が発見されるたび、静かな興奮をたたえながらこの「ファインディング・マンモス」を連呼する。その映像と言葉のたたずまいがだんだんおかしくなってきて、番組の最後には大爆笑をしていた。

それ以来「ファインディング・マンモス」という言葉が頭を離れない。眠らせておくにはもったいない言葉なのではないだろうか。そう思って今日のコラムを書かせていただいているところである。

しかし、実生活でマンモスを発見する機会などありはしない。ならば使用する場面をもう少し汎化して見るのはどうだろうか。例えばこうである。

・トイレで前例のないほど大きな便を産出したとき、それを見つめながら驚きを押し隠して

「ファインディング・マンモス・・・・」


・「いいか、鍋のあとにはおいしいスープが残る。これを使って雑炊を作るのだ。まず、ごはんを入れる。ごはんは先に水で洗っておけ。これを洗わずに入れて煮立たすと雑炊は雑炊ではなくなる。それではおじやだ。よし、それでいい。水で洗ったら塩と酒で味をつけるのだ。醤油はいらない。醤油は自分のほうに味を持っていってしまう。うるさい!入れたければ自分の皿にとってからたらせばいい。よし。聞き分けのいい子だ。最後にたまごを入れるが、これがポイントだ。たまごは混ぜすぎてはいけない。そう。そのようにだ。5かき混ぜでいい。うるさい!それでいいんだ。いいか。その後フタをしろ。10秒待て・・・・よしいいぞ。あけろ!」

金色に輝く雑炊の出来上がりに誰もが息を飲んだ。

「ファインディング・マンモス・・・・」


・もう何十度目の使用になるクタクタになったエロ本の87ページが机の上に開かれている。大きく開脚した安っぽい女性の肢体。たけしはこれを肴に椅子にあぐらをかいて座って股間をしごいていた。

と、突如部屋の扉が開く。

「たけし、ごはんよ!」

元気に戸をあけた母の顔が、室内の惨状を見て凍りつく。数秒の沈黙のあと、母は言った。

「ファインディング・マンモス・・・・」



このように使い勝手のいい「ファインディング・マンモス」。是非活用してくださいませ。


安藤美姫

人気ですねえ。安藤美姫。私はいまいちあの笑顔が苦手でありますが、一番旬のスポーツ選手ということは確かでしょう。これだけの人気ともなると色々な写真を撮られるのが定めでありまして。

先日某所で以下の写真を見ました。

miki.jpg

回転中の写真だそうです。もう既に破壊力抜群なのですが、これにちょっと手を加えてみます。

miki8.gif
顔を大きくしてみました。


miki6.gif
油絵風にしてみました。


miki2.gif
たくましくしてみました。

miki7.gif

走ってもらいました。



新たな魅力を発見できたような気がします。好きになれそうだ。


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