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また似たようなシーンを出してしまったがこれは自分にとって大事な心象風景なのかもしれない。

先週、シベリアの永久凍土に冷凍されたマンモスを探すという番組が放映されていた。以前よりこういったドキュメンタリーは好きなので見てみた。

若者たちが隊長の指示を受け凍土を歩き、そして掘る。それを淡々と報告する低い声のナレーション。静かで過剰な演出のない私好みの番組だ。

そう思って見ていると、隊員の動きがにわかにあわただしくなってきた。どうやら何かを発見したようだ。隊員たちが抱えあげたのは人の胴体くらいの大きさのマンモスの足だった。これにあわせてナレーターが低く響き渡る声で言った。

「ファインディング・マンモス・・・」

なんだ。この決め言葉は。ナレーターはその後もマンモスの頭や胴体が発見されるたび、静かな興奮をたたえながらこの「ファインディング・マンモス」を連呼する。その映像と言葉のたたずまいがだんだんおかしくなってきて、番組の最後には大爆笑をしていた。

それ以来「ファインディング・マンモス」という言葉が頭を離れない。眠らせておくにはもったいない言葉なのではないだろうか。そう思って今日のコラムを書かせていただいているところである。

しかし、実生活でマンモスを発見する機会などありはしない。ならば使用する場面をもう少し汎化して見るのはどうだろうか。例えばこうである。

・トイレで前例のないほど大きな便を産出したとき、それを見つめながら驚きを押し隠して

「ファインディング・マンモス・・・・」


・「いいか、鍋のあとにはおいしいスープが残る。これを使って雑炊を作るのだ。まず、ごはんを入れる。ごはんは先に水で洗っておけ。これを洗わずに入れて煮立たすと雑炊は雑炊ではなくなる。それではおじやだ。よし、それでいい。水で洗ったら塩と酒で味をつけるのだ。醤油はいらない。醤油は自分のほうに味を持っていってしまう。うるさい!入れたければ自分の皿にとってからたらせばいい。よし。聞き分けのいい子だ。最後にたまごを入れるが、これがポイントだ。たまごは混ぜすぎてはいけない。そう。そのようにだ。5かき混ぜでいい。うるさい!それでいいんだ。いいか。その後フタをしろ。10秒待て・・・・よしいいぞ。あけろ!」

金色に輝く雑炊の出来上がりに誰もが息を飲んだ。

「ファインディング・マンモス・・・・」


・もう何十度目の使用になるクタクタになったエロ本の87ページが机の上に開かれている。大きく開脚した安っぽい女性の肢体。たけしはこれを肴に椅子にあぐらをかいて座って股間をしごいていた。

と、突如部屋の扉が開く。

「たけし、ごはんよ!」

元気に戸をあけた母の顔が、室内の惨状を見て凍りつく。数秒の沈黙のあと、母は言った。

「ファインディング・マンモス・・・・」



このように使い勝手のいい「ファインディング・マンモス」。是非活用してくださいませ。