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まあ、どうでもいいことだ。

バタバタしていて更新が出来ませんでした。いや、引越ししたんですよ。で、どうせ外食ばっかりするし、テレビも全然みないしというわけで、引越し先にはベッドと本とPCだけしかもっていってないのですが。

夜、氷を入れて焼酎を飲むことが出来ないことに気付いて、ものすごく歯がゆい思いです。こんなことだったらシベリアの永久凍土のあるあたりに引っ越すんだった。マンモスも食えるし。

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JRの改札口で使えるICカードのSUICA。最近は構内のコンビニで使えるそうで、試してみました。ペットボトルのお茶を置いてレジ横の機械にピッとする。ホウホウ。これまでの残高の2500円から147円引かれて2353円になったわい。身に触れる新しさがちょっと心地いい。

まあ、そこまで利益は感じない。お金出しておつりをもらうということって日常の当然通り抜けるタスクだし、むしろ他者との交流のかなり大きな部分をしめてたりして、全く困難を持っていない。「おつり手渡し」といううら若き店員の女性との数少ないふれあいを失うのは実にもったいない。(逆に言えば店員が全て汚らしい老婆だったら使う価値はあるかもしれない。)

駅の切符自販機まで歩かなくてはいけない、とか、財布からカードを出さなくてはいけない、という明白な面倒さとかをなくした改札での使用は本当に素晴らしい技術だが、今のところコンビニでの利用技術にはあまり魅力を感じないなと思ったしだい。そのくらいだったら、とっとと自動販売機で導入すればいいのに。

そんなことを電車の中で考えていたら目的地に着いた。財布を取り出し、改札にピッと当てると160円引かれて、2193円。ああ、なんだか気持ち悪い。端数をなくしたい。

しかし、SUICAでチャージできる金額は1000円、3000円、5000円、10000円と決まっている。この端数のお金を使い切るにはコンビニを再度利用するしかないではないか。下の桁を0にする為だけにまたコンビニを使わなくてはいけない。

いらないものを買うことなんてできるか!という方は今回買った147円のペットボトルをあと9本買わなくてはいけないハメになる。それで1470円になってOKである。このような例は極端ではあるが神経の細い人は少なくとも2度以上のコンビニ利用が必要なのである。

なるほど。色の付いたお金。その拘束力の強さの一端を見た思いである。