右翼ではない。

山谷の件、たいそう反響があって嬉しい限りです。書くのに体力がいりますので、完結までもう少し待ってください。

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今年大学に入った人はそろそろサークルが落ち着いたころでしょうか。

私のいた大学は多分日本でもサークルの活発さでは一二をを争うほどで、新入生の勧誘は、何百とあるサークルに加え、左翼団体の革マル派も加わり、それはもう大変な大騒ぎだった。

そうなると新入生歓迎の場所取りも必然的に熾烈な争いとなる。大学にきちんと場所を申請をしていても、その場所が勝手に取られたりするということも多い。

ある年、関口さんという人がその新勧の場所取りをまかされた。事前に大学に申請した場所にちゃんとガムテープ等で「サークルの場所はここですよ!」と印をつける役割だ。

関口さんは意気揚々と参加し、申請した場所を四角くガムテープで囲み、その中にガムテープでダイナミックに

「関口」

とそれはそれは大きな字を書いた。

翌日、サークル員が申請した場所に行くと大きな字で「関口」。みんな困惑するが、その中の一人が

「関口じゃあ、革マルに個人と思われてなめられます。」

と提案。ガムテープを取り出し、「関口」の上にビリビリとガムテープを貼っていく。そして、見る間に「関口」の字は

「関國共」

となった。意味はよく分からないが、とりあえず怖そうだ。これで今年の新勧は誰にも場所をよこどられることないだろう、とみんな胸をなでおろしていると、どうも革マル派っぽい人が近づいてくる。彼は「関國共」の前で立ち止まり、

「関國共さんは、何をやってるんですか?」

と一言。どのようにそこを言いつくろったかは知らないが、なんとか何事もなくやり過ごしたらしい。

春の暖かい日になると、ふと、このエピソードを思い出す。

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ちなみに革マルというのはかなり大変なところだ。大学、そして大学に所属するサークル活動にかなりの力を持って影響を及ぼしていた。

夜の10時くらいだったか。友人と大変酔っ払って大学構内を歩いていたら、45度くらいに斜めに立てかけられた5m×7mくらいの巨大な革マル派の立て看板があった。

「○○大学当局の学費値上げを許さない!」といった内容だったと思うが、酔っ払った友人が突如その看板を駆け上った。すると、その看板の裏側から20人くらいの革マル員らしき人間がワラワラと飛び出してきて私たちはあっという間に首根っこを掴まれて校舎脇に連れて行かれ、尋問された。

数時間「単に酔っ払ってやっただけだから」と弁明するもひ弱そうな革マル員は我々ののど口をつかんで「ああ?」と問う。

最終的にはみんな散り散りにワーッと逃げ出したのだと思うが、なんともたいそうなエピソードだ。

革マルは今は大学の必死の追い出し策によって、拠点をつぶされ、魂を抜かれた感じとなっているが、相変わらず授業前に赤いビラを配ってるのかしらねえ。


激辛の辛子高菜が食べたい

勘違い、といいますと、友人の鈴木が「紋舞らん」というAV女優(「AVじょゆう」と書くと白痴っぽいです)のことを

「もんまいらん」

と数年くらい読んでいたらしく、ある日突然天啓のように

「モンブランじゃん!」

と気付いたそうです。たぶん、その夜の自分の布団っていうのは涙でとても苦い。苦いはずです。


山谷2

おとといの続きです。

(こっちこっちと手招きする爺さん)

私が「俺?」と自分を指差すと爺さんはさらに手招きをする。おとなしく歩み寄る。爺さんからムッと酒の匂いがする。これは、ダメな酔い方だ。

「何やってんの君。」

単純な質問。にも関わらず私は言葉がすぐに出てこなくてウッとたじろぎ、ほんのりと周囲を見回す。その工程を経てやっと搾り出した言葉。

「いや、散歩を」

とっさに飛んでくる。「バカじゃねえの?」

すごく綺麗な関東弁。ジャイアンみたいだ。ここらへんの人なんだろう。この類の言葉を自然と使える人には何故か無条件の敬意を感じてしまう。

「おまえ、ここは最低だぞ。え?」

「ハア、一応どういうところかは存じ上げてはおりますが・・・」

「お前バカだろ。俺は今、茶を買って帰るところだからさ。」

爺さん、両脇にはさんだ茶を手をクロスしてさっと出して見せ付ける。両手に緑茶。思わず笑ってしまう。

改めて爺さんを見る。年のころは70歳くらい。よく洗濯された綺麗な服を着ていて、明らかに日雇い労働者ではない。目は酒でとろんとしているものの、さっきのおじ様ほどずしりと澱んだ重さはなくとても軽やかな感じだ。

「で、お前は何やってんだ。」

「いや、まあ散歩を。」

「俺あ、昔甲子園のアルプススタンドに立ってたんだ。」

唐突に言ってチッと舌打ちをする。

「間違ったじゃねえか」

「何をですか!」

「いや、甲子園に行ったことあんだよ。」

私も何故かうまく軽口を叩ける。

「オチを先に言ったんですね。」

また、チッと舌打ちが聞こえる。とろんとした目尻がやや下がる。

「メシは食ったのか?」

「いや、朝飯をちょっと。」

爺さん、どうやらまだ飲みたいみたいだ。そう感じた私はニコニコしながら「金ないっすよ。」いつの間にか歩みはいろは会入り口近くのそば屋へ。店のすぐ隣に布団で寝てる人を横切り、暖簾をくぐる。

「いや、また来ちゃったよ。偶然若いのがね。」

店員はその声が聞こえてるはずなのに完全に無かったことにして奥で何かを支度してる。ごく普通のそば屋。店中につまみの名を書いた札が何かを払うように張り巡らされている以外はとりたてて特別なことはない。

店員はほどなくゆっくりとした足取りで茶をだしにくる。改めて爺さんは言う。

「偶然若いのがね。」

店員、会釈だけして手に伝票を持ち、注文をとる意志を見せる。爺さん意に介さずフランクな口調でビール大瓶と焼酎を頼む。店内には2人。妙に上に置かれたテレビを見上げながら蕎麦をすすっている。

「でよ。」

方言か。

「お前は仕事何やってんの」

「いや、サラリーマンを」

「エリートじゃねえか!」

爺さんは突如激昂し始め、卓上に置かれた七味をシャカシャカし始める。

「いや、全くしがないサラリーマンで。」

トスッ、トスッと酒が置かれる。大瓶と焼酎のストレート。爺さんは首をやや横に傾けながら言った。

「ま、いいじゃん?」

私は大瓶をスイと持ち自分のグラスに傾けた。不思議と爺さんの首の角度にそっくりな感じがした。


(続く。またか。)


冷え汁フードニュース

ココイチがスープカレーブームも落ち着いた今、何故か唐突にスープカレーを開始。

四万十川独自調査によると、スープカレーはジンギスカンのタレで有名なベル食品のものを使用していることを視認したとのこと。「モランボンのなべつゆ」みたいな袋に入っていたとも。

10辛を食す。850+100円。高い。

味に関しては、しょっぱいが濃度の薄いカレーといったところ。ただそのウスさのおかげで、通常のポークでは10辛はザラザラになってしまうところをちょうどよいゆるさにしていた。とはいえ、このゆるさでゆで卵を切らずに丸のまま出すのはある種拷問だろう。散る。

具はほかに揚げなす、じゃがいも、おくら、あと、何故かフライドチキン。じっとりとした衣が、悲しげな顔で、

「僕はここにいていいの?」

と訴えかけてくる。

あと、こっそりライス量が50g少ないのがいただけない。ポークカレーのデフォルトは300g、スープカレーは250gである。実際食べると明らかにご飯が足りない。スープどころか具まで残るのである。
狙いどころのいまいち分からないココイチスープカレー。5月いっぱいの販売なので急げ、と言いたいところだが、ベル食品のスープカレーを買えばいいだけなので、急ぐな。

今日は有用な情報を伝えられたと思う。山谷はまた明日。また来世。またライラライラライ。



山谷

世には山谷趣味の人がいて、それぞれのリアリティを持っていくつかの媒体でその内情を伝えている。私は下世話趣味をくだらないリリシズムで味付けしているように見えて、そういったものを軽く苦々しく思いながら触れないようにしていた。

そのせいで、実のことを言えば山谷について知っていた情報というのはほとんどなかった。そんな中で多分にその少ない情報から自らの想像をふくらまし、自分を重ね合わせたりして、また、同時にただの好奇心から歩みを寄せたいと思う自分もいたりする。まことに苦々しい限り。

そんな状態のある土曜日の昼前、自然と山谷に足が向かってしまった。そういった苦々しさと決別するために、町そのものに余計な味付けをせず、その姿をそれとして、そしてそこにいる自分もそれとして捉えられればいいな、という淡い期待。

それは思いの外、長い行程となってしまった。

午前11時に常磐線南千住駅に到着。

山谷はこの駅から浅草までの間にある比較的せまい地域で、そこに一泊2000円程度の木賃宿が何百と軒を連ね、多くの日雇い労働者が生活している。
南千住駅は町に不格好なくらい新しく綺麗で、そこを一歩出ればパチンコ屋、居酒屋の類と妙に新しいマンションがアンバランスに配置されている。歩く人は少なく、空気はゆるくて静かで住みやすそうな町にみえる。南下。

ガードをくぐりぬけ、よく整備された道路を歩く。町は相変わらずおとなしくも、徐々にその様相を変えていく。路地に入る。マンションにもごみだめにも有刺鉄線。その針先の鋭さにも関わらず鈍いような、ぼんやりとした印象を与える。

SN310103.jpg

南下。

木賃宿が増えてくる。看板はひっそりとしているが、窓の多い四角い建物でそれと分かる。前にも後ろにも人はいない。土曜の午前だしそれは仕方ないだろう、なんて思いながら路地を潜り抜けると、スッと視界が開けた。

山


「いろは会通り」という商店街。アーケードの入り口に4〜5人程度の人が(ちゃんとした)布団をしいて寝ている。アーケード入り口向かいにある酒屋は開いていない。5台ある酒類の自動販売機は半分がつぶれ、半分が稼動しており、そのまわりに10人くらいの日雇い労働者風の人々がたむろしている。その中の数人が円になって道の真ん中に座り、酒を飲んでいる。声はあまり聞こえない。落ちているゴミ。ゴミをより分けて拾う人。点在する存在感。その後ろには全く存在感を失った、しかしきちんと営業をしている灰色の中華料理屋。

思っていたより人が少ない。その中で確かに感じる臭気。逆にそれが頼もしくすら思えるほどだ。じっとりと冷や汗をかくような倦怠感。カスカスと乾いた音を立てる町並み。

のどが渇いたのもあり、彼らから少し離れた酒の自動販売機で発泡酒を購入。と、背中から声がかかった。

「ぅあどうなのよ」

突然のことに驚きつつ「ハイ」

「パンチきくわな。」

必死で冷静を装い「ええ。飲みます?」と私。言っておいて失礼だったかと思い直すももう遅い。おじさんは「スッ」と声なのか息なのかよく分からない音を口から出して、

「もらえるもんはもらうけどな」

お互い目をふせながらつめたい缶を黒い手に手渡し。こういう来訪者というのは心底迷惑なものだろう。逆の立場で考えると間違いなくそうだ。ただ、おそらくこういう来訪者はたくさんいるだろうからこの方たちも慣れていて、それでいて私を使っているのだろう、と思うとまあ一種の交換条件。こちらもそこから気楽に話しかけることができた。

路肩にすわり、ひとつご相伴。昼発泡酒はうまい。世間話、身の上話。私は自分の股が破れたジーンズを見せながら「デブ穴言うんですよ。これ。」とか。一番話が合うのはやはりマンコの話。「ありゃー、いい女だったけどね。臭いんだわ」。雨を予測した天気予報と裏腹に日はさんさんと照る。おじさん(おじさま、と言ってもいい)は時にまぶしそうにわざとらしく日を見る。

チビチビやっていた酒が切れる。買いにいきましょうか、と言う間もなくおじさんは立ち上がり、背中を向け、手をスイと挙げて去っていった。

昼が過ぎた。午後13時。

さらに南下。再び歩き始めて、いろは会通りから一本南の通りへ。木賃宿がまさに「立ち並んで」いる。一番安くて2000円。2300円が多い。2300円の宿はこぞってカラーテレビ設置をうたっている。どう見ても民家なところ、過剰に四角いところ、絶対ここホテルも何もやってないだろうっていうところ。

宿の角を曲がり一本脇の道を見ると、小学生くらいの女の子が一人ボールを突いている。「あんたがたどこさ」のようだ。

あまりにもわざとらしいような、どちらかというと悪夢のような光景に唖然として立ち尽くしていると爺さんがこっちを見ている。両脇に茶缶を抱えている。こっちこっちと手招きをする。

〜続きはまた明日〜


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