山谷
世には山谷趣味の人がいて、それぞれのリアリティを持っていくつかの媒体でその内情を伝えている。私は下世話趣味をくだらないリリシズムで味付けしているように見えて、そういったものを軽く苦々しく思いながら触れないようにしていた。
そのせいで、実のことを言えば山谷について知っていた情報というのはほとんどなかった。そんな中で多分にその少ない情報から自らの想像をふくらまし、自分を重ね合わせたりして、また、同時にただの好奇心から歩みを寄せたいと思う自分もいたりする。まことに苦々しい限り。
そんな状態のある土曜日の昼前、自然と山谷に足が向かってしまった。そういった苦々しさと決別するために、町そのものに余計な味付けをせず、その姿をそれとして、そしてそこにいる自分もそれとして捉えられればいいな、という淡い期待。
それは思いの外、長い行程となってしまった。
午前11時に常磐線南千住駅に到着。
山谷はこの駅から浅草までの間にある比較的せまい地域で、そこに一泊2000円程度の木賃宿が何百と軒を連ね、多くの日雇い労働者が生活している。
南千住駅は町に不格好なくらい新しく綺麗で、そこを一歩出ればパチンコ屋、居酒屋の類と妙に新しいマンションがアンバランスに配置されている。歩く人は少なく、空気はゆるくて静かで住みやすそうな町にみえる。南下。
ガードをくぐりぬけ、よく整備された道路を歩く。町は相変わらずおとなしくも、徐々にその様相を変えていく。路地に入る。マンションにもごみだめにも有刺鉄線。その針先の鋭さにも関わらず鈍いような、ぼんやりとした印象を与える。
南下。
木賃宿が増えてくる。看板はひっそりとしているが、窓の多い四角い建物でそれと分かる。前にも後ろにも人はいない。土曜の午前だしそれは仕方ないだろう、なんて思いながら路地を潜り抜けると、スッと視界が開けた。
「いろは会通り」という商店街。アーケードの入り口に4〜5人程度の人が(ちゃんとした)布団をしいて寝ている。アーケード入り口向かいにある酒屋は開いていない。5台ある酒類の自動販売機は半分がつぶれ、半分が稼動しており、そのまわりに10人くらいの日雇い労働者風の人々がたむろしている。その中の数人が円になって道の真ん中に座り、酒を飲んでいる。声はあまり聞こえない。落ちているゴミ。ゴミをより分けて拾う人。点在する存在感。その後ろには全く存在感を失った、しかしきちんと営業をしている灰色の中華料理屋。
思っていたより人が少ない。その中で確かに感じる臭気。逆にそれが頼もしくすら思えるほどだ。じっとりと冷や汗をかくような倦怠感。カスカスと乾いた音を立てる町並み。
のどが渇いたのもあり、彼らから少し離れた酒の自動販売機で発泡酒を購入。と、背中から声がかかった。
「ぅあどうなのよ」
突然のことに驚きつつ「ハイ」
「パンチきくわな。」
必死で冷静を装い「ええ。飲みます?」と私。言っておいて失礼だったかと思い直すももう遅い。おじさんは「スッ」と声なのか息なのかよく分からない音を口から出して、
「もらえるもんはもらうけどな」
お互い目をふせながらつめたい缶を黒い手に手渡し。こういう来訪者というのは心底迷惑なものだろう。逆の立場で考えると間違いなくそうだ。ただ、おそらくこういう来訪者はたくさんいるだろうからこの方たちも慣れていて、それでいて私を使っているのだろう、と思うとまあ一種の交換条件。こちらもそこから気楽に話しかけることができた。
路肩にすわり、ひとつご相伴。昼発泡酒はうまい。世間話、身の上話。私は自分の股が破れたジーンズを見せながら「デブ穴言うんですよ。これ。」とか。一番話が合うのはやはりマンコの話。「ありゃー、いい女だったけどね。臭いんだわ」。雨を予測した天気予報と裏腹に日はさんさんと照る。おじさん(おじさま、と言ってもいい)は時にまぶしそうにわざとらしく日を見る。
チビチビやっていた酒が切れる。買いにいきましょうか、と言う間もなくおじさんは立ち上がり、背中を向け、手をスイと挙げて去っていった。
昼が過ぎた。午後13時。
さらに南下。再び歩き始めて、いろは会通りから一本南の通りへ。木賃宿がまさに「立ち並んで」いる。一番安くて2000円。2300円が多い。2300円の宿はこぞってカラーテレビ設置をうたっている。どう見ても民家なところ、過剰に四角いところ、絶対ここホテルも何もやってないだろうっていうところ。
宿の角を曲がり一本脇の道を見ると、小学生くらいの女の子が一人ボールを突いている。「あんたがたどこさ」のようだ。
あまりにもわざとらしいような、どちらかというと悪夢のような光景に唖然として立ち尽くしていると爺さんがこっちを見ている。両脇に茶缶を抱えている。こっちこっちと手招きをする。
〜続きはまた明日〜
そのせいで、実のことを言えば山谷について知っていた情報というのはほとんどなかった。そんな中で多分にその少ない情報から自らの想像をふくらまし、自分を重ね合わせたりして、また、同時にただの好奇心から歩みを寄せたいと思う自分もいたりする。まことに苦々しい限り。
そんな状態のある土曜日の昼前、自然と山谷に足が向かってしまった。そういった苦々しさと決別するために、町そのものに余計な味付けをせず、その姿をそれとして、そしてそこにいる自分もそれとして捉えられればいいな、という淡い期待。
それは思いの外、長い行程となってしまった。
午前11時に常磐線南千住駅に到着。
山谷はこの駅から浅草までの間にある比較的せまい地域で、そこに一泊2000円程度の木賃宿が何百と軒を連ね、多くの日雇い労働者が生活している。
南千住駅は町に不格好なくらい新しく綺麗で、そこを一歩出ればパチンコ屋、居酒屋の類と妙に新しいマンションがアンバランスに配置されている。歩く人は少なく、空気はゆるくて静かで住みやすそうな町にみえる。南下。
ガードをくぐりぬけ、よく整備された道路を歩く。町は相変わらずおとなしくも、徐々にその様相を変えていく。路地に入る。マンションにもごみだめにも有刺鉄線。その針先の鋭さにも関わらず鈍いような、ぼんやりとした印象を与える。
南下。
木賃宿が増えてくる。看板はひっそりとしているが、窓の多い四角い建物でそれと分かる。前にも後ろにも人はいない。土曜の午前だしそれは仕方ないだろう、なんて思いながら路地を潜り抜けると、スッと視界が開けた。
「いろは会通り」という商店街。アーケードの入り口に4〜5人程度の人が(ちゃんとした)布団をしいて寝ている。アーケード入り口向かいにある酒屋は開いていない。5台ある酒類の自動販売機は半分がつぶれ、半分が稼動しており、そのまわりに10人くらいの日雇い労働者風の人々がたむろしている。その中の数人が円になって道の真ん中に座り、酒を飲んでいる。声はあまり聞こえない。落ちているゴミ。ゴミをより分けて拾う人。点在する存在感。その後ろには全く存在感を失った、しかしきちんと営業をしている灰色の中華料理屋。
思っていたより人が少ない。その中で確かに感じる臭気。逆にそれが頼もしくすら思えるほどだ。じっとりと冷や汗をかくような倦怠感。カスカスと乾いた音を立てる町並み。
のどが渇いたのもあり、彼らから少し離れた酒の自動販売機で発泡酒を購入。と、背中から声がかかった。
「ぅあどうなのよ」
突然のことに驚きつつ「ハイ」
「パンチきくわな。」
必死で冷静を装い「ええ。飲みます?」と私。言っておいて失礼だったかと思い直すももう遅い。おじさんは「スッ」と声なのか息なのかよく分からない音を口から出して、
「もらえるもんはもらうけどな」
お互い目をふせながらつめたい缶を黒い手に手渡し。こういう来訪者というのは心底迷惑なものだろう。逆の立場で考えると間違いなくそうだ。ただ、おそらくこういう来訪者はたくさんいるだろうからこの方たちも慣れていて、それでいて私を使っているのだろう、と思うとまあ一種の交換条件。こちらもそこから気楽に話しかけることができた。
路肩にすわり、ひとつご相伴。昼発泡酒はうまい。世間話、身の上話。私は自分の股が破れたジーンズを見せながら「デブ穴言うんですよ。これ。」とか。一番話が合うのはやはりマンコの話。「ありゃー、いい女だったけどね。臭いんだわ」。雨を予測した天気予報と裏腹に日はさんさんと照る。おじさん(おじさま、と言ってもいい)は時にまぶしそうにわざとらしく日を見る。
チビチビやっていた酒が切れる。買いにいきましょうか、と言う間もなくおじさんは立ち上がり、背中を向け、手をスイと挙げて去っていった。
昼が過ぎた。午後13時。
さらに南下。再び歩き始めて、いろは会通りから一本南の通りへ。木賃宿がまさに「立ち並んで」いる。一番安くて2000円。2300円が多い。2300円の宿はこぞってカラーテレビ設置をうたっている。どう見ても民家なところ、過剰に四角いところ、絶対ここホテルも何もやってないだろうっていうところ。
宿の角を曲がり一本脇の道を見ると、小学生くらいの女の子が一人ボールを突いている。「あんたがたどこさ」のようだ。
あまりにもわざとらしいような、どちらかというと悪夢のような光景に唖然として立ち尽くしていると爺さんがこっちを見ている。両脇に茶缶を抱えている。こっちこっちと手招きをする。
〜続きはまた明日〜