気づき

今日、目を瞑って歩いている人とすれ違った。固くぎゅっと閉じたその目はきれいな一の字を書いていて、強い力を感じる。とともに気づいた。目というのは切れ目なのだ。

口や鼻は穴だが、目もそれにつられて穴の印象しか持っていなかった。そうか、違うのだ。目はつるんとした球体にふたすじ入った切れ目なのだ。



高層ビルに見下ろされる。

東京は月島といえば、埋立地であり、もんじゃであり、下町であり。そう言葉少なにしか言えなかった私だが、近所に引っ越してからよくウロウロするようになってようやくこの街の何たるかが分かった。



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つまりはこういうことだ。

北西部、佃のあたりにはそれはもう空の上から大きなお兄さんが槍を投げ落とした、という感じの40階を越える超高層マンションがズドンズドンと、立ち並ぶ都内でも有数の高級マンション密集地なのである。

今もその付近には巨大なマンションが建築中で、さらなる巨大化がすすんでいる。

私はそのふもとを自転車を走らせながら、いつも思う。

埋立地。巨大マンションが北西に密集。
絶対ぐるんと転覆する。

そしてまたあの立地のこと、裏返った土地にまた巨大マンションが建つのだ。そしてさらにぐるんと転覆。ああ、壮大なカタストロフ。歴史は繰り返すことをその円状運動によってまざまざと見せてくれるのだ!

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埋立地と浮島を混同していることは重々承知だが、頭の中に浮かぶイメージは壮大な「だいじょうぶだあ」のルーレットマンのイメージ。

つまるところ、月島はルーレットマンである。


少しだけ昔の俺が書きたかったこと

そういえば、先月セットストックという野外ライブイベントがあったのだけども、あそこは私の実家から歩いて行ける距離だった。

特にあの公園に至る道などは、友人の田辺君ちに行くための道であり、道すがら彼と

「犬は犬でも犬は何本?」

とか、

「わっぱっぱ、さっぱっぱ、さんさんさ、では、何でしょう?」

といった(今でも無駄なくらいよく覚えているのだが)謎かけをひたすらしあいながら歩いた道だった。そんなところに木村カエラであるとか、つじあやのであるとかそういった人たちが来ているという事実に、まあものすごく強い恥じらいを感じるわけである。

田舎もんというのは、自分の町が話題に上るのに慣れていない。あうあうと喜びとも恥じらいとも憐れみともとれる声にならない声をあげるのが精一杯の抵抗なのだな、と思う。

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さて、よくある「自分のメモ帳に残っていた、もはや意味の分からない青春の残滓」から2点ほど供養を。

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・ブラックホール吸い込まれ隊
おなら吸い込み隊に対するアンチテーゼとでも考えたのか。「吸い込む」ではなく「吸い込まれる」という受動感に、ありとあらゆるやるせなさの情感を無理やり詰め込んで安達祐実にプレゼントしたい。


・階段をベリーロールみたいに登る。
これは小学校のときに会得した階段のぼり技だ。
まずは精一杯右足を上げて、可能な限り上の段に足をかける。その後、身体を巻き込むように内側に回転しながら左足を右足と同じ段まで持っていく。この回転感が大変心地よく、狂ったように繰り返していたものだった。

その後、確か高校くらいになってから、探偵ナイトスクープで「腕を組んで中腰になり、足を伸ばしながら階段を下りるとコサックダンスを踊っているような気分になる」という絶技が紹介されているのを見て、心の底から「負けた」という気になったのである。

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というわけで、今月よりリハビリのため、更新頻度をあげて頑張りたいと思います。


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