滲むインク。
写真は関係ありません。
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冬だ。冬になると思いだすのはあの屈辱の時だ。
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3年前くらいか。私はカキ筏のオーナーになった。
1万円出すと、カキ筏につるされた1本のワイヤーのオーナーになれる。殻付きカキ110個保証。それ以上はできた分だけあなたのもとへ。カキ好きの私は一も二もなくそのプランに乗った。
当然ながらカキ。生モノであるので日持ちはしない。このため配送日は必ず特定の1日、配送先は最大でも2か所という厳しい条件であった。
1人で食べきれるはずもないと踏んだ私は、まずは日頃の感謝をこめ、実家の両親二人に20個のカキを配送するようにした。そして、こちら側では友人を募り、カキを食べる会を企画した。首尾よく8名くらいの参加者が集まったが、当時の自分の家は会社の寮で大変狭く、宴会をするのに向いていない。このため、広い友人宅を宴会場とし、そこに配送するよう設定した。
さて、当日。私は見事に当時流行していたインフルエンザにかかった。40度の熱。激しい悪寒、筋肉痛。体が一切動かない。こんな状態では当然ながらこの会に参加できない。
そうは言っても数か月から企画し、熱烈な賛同を得たこの会。私以外の参加者がしっかり集まってしまった。仕方なく、会の進行にメールでGOを出す。
午後7時。クール宅急便にて友人宅に届いたという一報が私に舞い込む。発泡スチロールにみっしり詰まったカキの写真が届くが、携帯電話による写真の粗さと高熱による涙目で岩の塊にしか見えない。
午後7時半。みんなで殻を剥く楽しそうな写真が送られてくる。高熱による涙目で、その写真は岩を愛でている人たちにしか見えない。
午後8時。インフルエンザ菌の活動はピークを迎える。トイレに行くために這いずっていたら、生で食べ始めましたという報告がある。吐く。
午後8時半、カキを焼いて食べましたというメールがある。私の体は燃えるように熱い。同じころ、両親より「20個のカキをまたたく間に食べ終えました。もう少し送ってくれればよかったのに。」という報告がある。メールに返信する元気もなくなる。
午後9時、かねてよりの私のお勧めである「蒸しカキ」を実践したという報告が友人からある。これを最後に一切私への連絡はなくなる。ぬきぬきと鼓動を上げるこめかみ、痛む関節、虚空をつかむ私の両手。天井は涙で滲む。恨み事を言う元気もない。滲惨憺。滲惨憺。かかる曲はピーター「人間狩り」。本当の自分を見るのが怖いから。今夜もあなたと部屋のあかり消しましょう。
ああ、恍惚の時があるならば。苦痛にうなされながら暗い部屋の中。
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いまだに、その際に注文した会社から「カキオーナーになりませんか」というダイレクトメールが送られてくる。そのダイレクトメール、そっと熱湯に浸ける。