一つ前の記事からよんでください

ちなみに、空白であると思われた寝坊した日の天使は下の写真でした。


花田勝。



おまえ何歳だよ、という質問には、へへー、申し訳ないとでも返しましょう。

「一人の人間の1日には必ず一人、その日の天使がついている」、なんていう記述を読んだ。気障ったらしい言葉だが、暗く落ち込んだときに、偶然電話をかけてきた友人のある一言が、漫画の一コマが、あるいは形にならない音や空気が自分を救ってくれる、なんてことはよくある。

まあ、友人の少ない私にも毎日そんな天使はいる。日常のささいな支えとなる「モノ」でも、あるいは天使となりうるのである。

朝はいつも携帯電話のアラーム機能を使って起きている。曜日指定やスヌーズなどの機能が非常に充実しているためである。

私はとにかく寝起きが悪い。起きる数十分前の目覚ましに加え、スヌーズ機能を活用し、起きるまでに少なくとも5、6回以上のアラームをかけるという万全の体制をしいて眠りにつく。充実した機能をもつ携帯電話は非常に心強い味方だ。よく気のつくかわいい子である。どうしようもない日常にあって、毎朝の彼の元気な電子音がちょっとした天使となってみえてくるのだ。

しかしそこまでしても、先日危うく遅刻しかけるような時間に起きてしまった。

慌てて歯ブラシをくわえて着替えながら原因を探る。確かにしっかりと6回アラームがかかるように設定している。

いよいよ自分の寝起きの悪さも病気の域に達してきたのか。それともこいつのアラームが壊れてしまっているのか。いずれにせよ、これから一体どうやって生きていこう、という激しい不安で暗澹たる気持ちになってしまい、一日中気が気でなかった。

そこでその夜は以前にも増して激しいアラーム攻勢にでることにした。ギリギリの時間まで実に10回。毎回耳障りなメロディが最大の音量でかかるように設定する。ここまですればさすがに大丈夫であろうと安心して眠りにつく。

次の朝、再度アラームの音が鳴らない中での自然起床。いやな予感がして携帯電話をみてみると、何故かLEDがはらはらと光っている。切なげに、そして控え目に点滅を繰り返す携帯電話を開いてみてようやく合点がいった。どうやらマナー機能をオンにしていると着信音だけでなくアラームの音もでなくなっているのである。

最近はフォーマルな場にいることが多いため、今までほとんど使っていなかったこのマナー機能をオンにし、そのまま寝てしまっていたのだ。

果たして彼は家という開放の場においてもその身をこわばらせ、マナーを守って静かにさざめきながら私の起きるのを待っていたのである。アラームのマナーは人を起こすことだろうが、と少し苦微笑。

まあ、機械だから、というなかれ。かたくなでこわばったこの滑稽な姿は今日の私の天使である。



長いフーテン生活を終え、4月から就職しました。




宇多田ヒカルには目を疑ったよ。

先日読んだ本にこんな人が紹介されていた。

中華料理店でチャーハンを頼む。その口も渇かぬうちに続けてこう言う。

「ライス1つ。」

席に届いたいわゆるチャーハンライス。彼は丸々と盛られたチャーハンの上に白く輝くごはんを置く。軽くソースを一回り。レンゲでさくさくと混ぜるとチャーハン大盛りの出来上がりである。


#

自分の欲望を満たすためならあまりなりふりかまわないタイプである。
貪欲である。あるいは欲望に弱い。
金がない。

こんな3つの特徴が全て備わると、人を上のような楽しい行動に陥らせてくれる。上記の例はハハハと笑って済ませたが、翻って私自身をみてみればそんな行動は当然のようにしていた。

ほぼ同じような例になるが、私はペットボトルのお茶が半分くらいになると水を足して、文字通り「水増し」している。お茶は薄めることによる味の劣化が比較的小さいので(そんなことはないと言うなら、水で薄めたコーラを考えてみればいい。)この方法は日常的に活用している。

これは中学時代の部活(まあ、1年でやめたのだけど)での癖がそのまま染み付いているためのものである。2リットルのペットボトルにお茶を凍らせてタオルで巻いてもって行く。保温性が高いので長時間その凍ったお茶は溶けない。飲むときはそこに水を入れてジャボジャボと振れば冷たいお茶の出来上がりである。氷が溶け切るまでこれを繰り返せば、少しの投資で大量の見返りがあるのだ。

先日友人の前でそれをやったら、「こいつは何をしでかすのだ」という目で見られたが、考えてみるといい。焼酎水割りだってカルピスだって水で割って飲むではないか。それと同じである。

こういう行動は奇異の目ではなく、頭を使って生活をする人を暖かく尊ぶ目で見ていただきたいものである。

#

誰ですか。先ほどの3つの特徴に加えて、「言い訳がましい」という特徴を加えたほうがいいという人は。


時間がないのでどうでもいいネタで

050315_1345~01.jpg

右、評

アムステルダムのコーヒーショップあたりで、大麻をバッチリ決めようとしているものの、勇気の出ない母。5歳はそれを見て、早くしろよとせかすが、まあ、きめたところで先祖がえりを起こしたりするだけだったりする。

左、評

シンナーの吸いすぎで溶けてぐらぐらになった歯。姉はそんな歯を思い切って抜き捨てる。そこにあるのは後戻りのできない大人の女性になった姉の姿。それをただ見る5歳。

#

非常に恥ずかしながら某インタビューサイトでサイト運営とかを話しています。ものすごく酔ってベロベロになっているときのものなので、なんていうか申し訳ありません。と、セルフハンディキャッピング。興味のある方はどうぞ。


悲喜

前に住んでいた家の大家はいい人だった。70近いお婆さんだが、挨拶をするといつもにこやかに返してくれる。家賃の滞納を報告しに大家の部屋に行くと、悪くした足を引きずりながらダンボールから大量のみかんを引きずり出して(まさに引きずり出す)くれる。

なぜか深夜12時過ぎに路上ですれ違う事が多いのが多少気がかりだったが、いやみのない素敵な女性だった。

ある日、とある手続きが完了した旨を伝えに数ヶ月ぶりに大家に会いに行ったとき。書類などを手渡し、事務的な会話が済んだら、突然彼女がハラハラと泣き始めた。

大家が「貸しはがし」という災難にあったということは以前より聞いていたので、そのことでつらいのか、と訝りながら「どうしたのですか?」と問い掛けると、鼻をすすりながら答えてくれた。

「なんとか、お金の工面がついたんです・・・」

「わあ、よかったですねえ。」

「○○信用金庫さんがお金を貸してくださることになって・・・」

「これでなんとかなりそうですか?」

「○○信用金庫さんに審査を依頼してて旦那と来る日も来る日もいい結果を期待して待ってたんです。すると電話がかかってきて」

「ほうほう」

「旦那が出たんです。そして審査に合格した旨を聞いた旦那が喜びすぎて転んで死んでしまったんです・・・」


なんとも喜劇的なその出来事に思わず私は笑いそうになってしまい、それを抑えると二の句が継げなくなった。沈黙に耐え切れない私が必死で搾り出した言葉がこれだった。

「ハハハ・・・そりゃあ災難ですねえ」


人生泣き笑いなんていう。思い切り笑った直後に泣いた人、それを軽く愛想笑いでかわした私は自分に泣いた。泣き笑いのサイクルが短いなんてロクなことない。


<< 2/3 >>