こんな感じだったか。

さて、こうも間があくと何を書いていいものやらよく分からなくなるのですが、とりあえず書いてみます。

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先日、友人から「自転車のサドルが張り型になっていて、それに女性が乗って公園を走り回るAVを見た」という報告を受けた。

張り型はもちろんペダルの回転を利用して上下に動くわけで、それを聞いた私は「なんとエコな試みだろう!」などと感動したのだが、よく考えてみれば通常の自慰行為などは全て手、足、床などを使うのみの頗るエコな試みであり、環境への配慮という意味では大した新規性などないのだということに気づいた。

天下の行動をアクメ顔で走るということは、つまるところ自慰行為でありつつ示威行為であるという点では大変関心もすれど、そこはかとないがっかり感が襲ったのだった。

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何か違うな。


喜ぶことは笑うことではない

ちょっと前に我が家の郵便受けに入っていた広告。



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「大喜び」、なら分かるが、「大爆笑」。正の感情というだけで喜怒哀楽の喜楽をいっしょくたにしてしまっているそのいい加減さが潔い。

「ブッ・・・ブハー!絞り着物・・・!」

「えもんかけ!ブブーッ!!」

「ブハハハハハ!!絹!!ヒーヒー、絹!!」

行っておけばばよかったです。
爆笑はしない自信がある。


他国の人の名前を笑うな

組長強殺 容疑4外国人再逮捕



昨日より各所で話題のピチットマスター・ジラポンさん。

組長を強盗しようというその心意気も素晴らしいですが、やはりこの名前はすごいです。新製品のラップみたいでいい。とはいえ、私としてはもう一人の犯人である「ウン・ハイ・ホワット」さんを推したい。

分かったふりをして、最終的には分かっていないというこの名前。その8文字の間に理解から無理解へのダイナミックな展開が存在している。逮捕されたときもさぞや取調官を激怒させたことだろう。

「で、名前はなんだ。」

「うん・・・、はい・・・、ホワット?」

「だから名前は何なんだ!」

「ウン・ハイ・ホワット」

「ガー!」

首とか絞められてるんじゃなかろうか。横では肉まんに几帳面にラップをかけているピチットマスター。


今日の鈴木

先日の記事をうけて。


「花も恥じらう」で思ったのだけど、花粉って人間で言えば精子じゃないですか。ということは、花粉症というのは顔射が鼻に入ってむせてる状態ですよね。

鼻の穴まで開発されて、「鼻も恥じらう可憐な乙女」みたいな。


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(四万十川より)
えー、はい。これはひどいですね。受粉あはん。


「花も恥らう」考

えー、まあ言葉の勘違いというのはよくある話ですが、何回やっても恥ずかしいもんですなあ。

先日なんぞは街中ですれ違った可憐な少女を見て、「おっ、花も恥らう乙女だね」なんていう言葉が口をついて出てきたんですが、ふと考えてみると、言った自分はその「花も恥らう」の正確な意味を知らない。

で、せっかくなんでね、一緒にいた友人と「花も恥らうってどういうことだろうねえ?」なんて考察をはじめてみたんですが。まあ、どうでもいいことと言えばどうでもいいんですが、こうなるともう後には引けんということでございまして。

で、私は結局こんな結論に達しました。

花も恥らうというと、清純かつ可憐。おしとやかで控えめなんていうイメージがございます。そこから花、恥らうと考えをめぐらせてみると、やはりこういうことになります。

あるうららかな春の日、乙女が野原の道をうんた、うんたと歩いている。と、
路傍にのびやかに花びらを広げて花が咲いている。乙女はその花を見て愛でると思いきや、

「ハッ!めしべ!」

赤らんだ顔を両手で隠します。顔にかぶさった手の血管ですら、バクバクと強く脈打っていることが分かるほどにドギマギとしております。そして、ようやくその動悸がおさまったってんで、気を取り直して他方を見ようとすると、そこにも満開の花が。

「フォッ!おしべっ!」

と先ほどを上回る興奮。その場でそのまま何度かジャンプをした後、走って家に帰り、いまだに居間に置いてあるこたつに電源も入れないままもぐったということです。



とかまあ、そういう感じで花を見ただけで恥ずかしがってしまうくらい、年頃の敏感な乙女ということなんでないかと。まあそう思ったわけでございます。私、かなりこの考察には自信がございました。一緒にいた友人などは、考えることすら放棄し、「ハーナ・モハージラウ」というアラブ人がいたのだ、などとバカなことを言い始めますから、私の自信は加速いたします。

「おしべっ、めしべっ」と即席の交配の歌を歌いながら帰宅し、インターネットで検索しますと、回答はすぐ出てまいりました。「花が恥ずかしくて頭をたれるほど美しい様子」とのことです。主語が違っておりました。

まあ、恥ずかしくて頭をたれたのは交配の歌を歌った私であったということで。


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