タナトス

夕方のホームで電車を待っていたら、向かいのホームで人が寝ていた。

051023_1647~01.jpg

「黄色い線の内側までお下がりください」でお馴染みの黄色い線の少し内側に黒いカバンを置き、それを枕にして寝ている。

まあ、ホームで寝るというのは私もよくやる。別段めずらしくもない行為だ。(まあ、酔っ払えば、だけども。)

そうは言ってもこの人はすごい。まかり間違って寝たりして、足を伸ばしたらまず確実にホームからはみ出る。そこに電車がやってきたら足が飛ばされてダルマさんになってしまう。安らぎと危険が隣り合わせの、アップダウンの激しい命の使い方である。

快楽と危険というのは隣り合わせにすると両方を増幅させる力を持っているがはたして、安らぎと危険というのはどうなんだろう。

051030_2157~01.jpg

というわけで、買った。水タバコ。ケース付きで1万円也。

吸えばボコボコと鳴る水の音。苦味のほとんどない甘い煙が口腔をくすぐる。暗い中で焚く炭はボウッとした明かりをあたりに投げかけ、心を静めさせる。

そんな心の安らぎをもたらす反面、炭で火を起こして、この不安定な細長い器具の上で焚くため、地震がおきたら元も子もない。というか、それ以上に酔っ払ってバタンと倒すともうダメだ。ウヒャヒャー火だ!火だ!とか言っている間に我が家のカーペットの床は瞬く間に火を広げていくだろう。

ある種、そこらも含めた「諦観」というあたりまで心を持っていければ。あるいは、ホームで寝ていた彼の境地には達せるのかもしれない。僕はヘタレだし、アパートに火を広げたら様々な人に迷惑をかけるだろうから、たぶん無理だろうけど。


こんなやっつけ。

ハッと気付いたら1週間のごぶさたをしておりました。昨日などは「7時より酒類半額」という頭のおかしいセールをしているすし屋で死ぬほど飲んだりしました。(本格焼酎一杯が200~300円とかでした。)

なんとなく、「平日半額」っていう懐かしいフレーズを思い出しました。

そんな感じで、特に書きたいことがないので、とりとめもなく書いていきます。

#

関係ないですが、さっき神戸の街中を歩いている友人と電話しておりましたところ、突然話の流れを切って、

「あ、いのししや。」

と淡々と言い出しました。

「は?」

と聞き返しましたら

「いのししがおんねん。あ、逃げた。」

「幻覚だろ。」

「いや、いのしし出んねん。神戸。」


いのしし出るんですか。神戸。

#

友人と電話、と言いますと、2年くらい電話もしていない友人から写真付きメールが届きました。

051023_202534.jpg

茶茶漫舗。まず、チャチャマンボという単語ってそもそもそんなになじみがないし、わざわざ当て字をするほどの言葉でもないと思う。


我が家は兼業農家なんですけども。

先日父から電話がかかってきた。

「オウ、元気にしょーるか。」

「まあ、なんとか働いとります」

「たまには帰ってこいや」

「そうですねえ。年末には帰りますよ」

「いいもん買うたけえ」


またか。

父のいいものというのは全くいいものではない。私が子供の頃。ドラゴンクエストⅢのオーケストラのCDが欲しい欲しいとねだった私をよそに、突如巨大な刃物砥ぎ機を買ったときは本当に落胆した。

スイッチを入れると円形の巨大な砥ぎ石がゴウンゴウンと音を立てて回る。砥ぎ石の表面に刃物を当てると、こちらが動かさずとも自動的に刃物が鋭利になる、という代物である。

その威力はすさまじく、細い果物ナイフとかを砥ごうものなら、あまりの砥ぎ力の強さで、見る間に刃がなくなってナイフをただの鉄塊と化してしまうのである。(実際の用途はクワやカマを砥ぐものだったらしい)

私は家の裏でゴウンゴウンと鳴る機械音を聞きながら、聞けなかったドラゴンクエスト交響曲を想像する。しかし、稚拙な私の想像力が作った音は全て機械音にかき消された。

そんな父のよく分からない機械愛はここ数年ぶり返しているようだ。昨年はヤンマーのユンボという小型ショベルカーを購入し、休日を徹して見事な田んぼの土手を作り上げている。

今年に入ると、力強いたたずまいのカート型の草刈機を購入した。カートを運転するだけで背後にはぺんぺん草も生えないという優れものである。このカート式草刈機のおかげで我が家の減反された田んぼは非常に綺麗になった。いや、綺麗になったからって減反されているのだが。

そんな父の「いいもの買うたけえ」。さあ、なんだ。何でも来い。


「いいものってなんですか」

「あれよ。特注よ。」

「特注?」

「普通売っとらん」


だめだ。どう考えてもロクな物ではない。普通売ってないのだったらそれだけ需要がないのだ。役に立つものは売れる、役に立たないものは売られない。それは世の常なのだ。


「もったいぶらずに言ってくださいよ」

「自走式薪割り機」

「は?」

「自走式薪割り機」

「なんですかそれは」

「まあ、動く薪割り機よ。」

父の欲望が今まで以上に分からなくなった私は、とりあえずその電話を早々に切る。しかし、電話を切った後も不可解な感情がうずくのが分かる。自走式薪割り機。何だそれは。

薪割り機だけなら、なんとなく想像がつく。木を差し込むとパカンと斧みたいなのが降りて薪を割るのだろう。しかし、それが自分で走る。どんなのだ。

目を瞑り想像する。大きなオノを背中に背負った小さな車がいじましく、しかし力強く動く様を想像する。

ブウーン、パッカン。

ブウーン、パッカン。

想像しているうちに思わず、「ブウーン、パッカン」と口ずさんでいた。待て、俺。今、すごく乗りたいと思っているだろう。俺。


避難生活を豊かにするものは、日々の生活を豊かにするものだよね

先月くらいだったか、テレビで避難所の生活に一役買う「ダンボール間仕切り」というものが紹介されていた。コストも低く、組み立てが簡単で、体育館1つなら数十分で全てをパーティションに区切れる優れものなのだそうだ。

ダンボールの高さは成人の胸の辺りまでではあるが、座れば一定のプライバシーが確保できるとのこと。これで、避難者のプライバシーを守り、ストレスを軽減することができるらしい。

実際に体育館に組み立てられたダンボール間仕切りを俯瞰的に写した映像を見ると、等間隔に区切られたパーティションが無機的な様相を呈しており、便利、プライバシー云々以前に、なんだか壮観だった。被災の生々しさをこれによって幾分軽減することが出来るかもしれないなあ、なんて思ったり。

と、まあそんな穿った見方をしていたら、なんだか違う方向から自分の欲望がつつかれてきた。やばい、これ自分の部屋にほしい。自分の部屋をこんな感じでいくつにも区切れたらものすごく楽しいんじゃないか。

まあ、我が家は六畳間のワンルームだからあまり贅沢は言えないが、なんとか4部屋くらいには分割できるとして。それぞれの部屋にいろんな用途を作りたい。壁はどうせダンボールだから色を塗ったり、穴を開けたりといろんな無茶をしても問題ないはずだ。夢は広がる。

ベッドのある寝室は壁全面にふかふかのファーを貼り付ける。狭い部屋でふかふかのファーにつつまれればなんとなく幸福な気持ちで眠りにつけそうだし、寝返りで頭を打ちがちな私も安心である。

キッチンは全面アルミ製の天ぷらガードを貼る。これでどんなに暴れながら天ぷらを作っても壁は油をはじいて安心だ。その代わり、床は油まみれとなるが、そこは間仕切りで仕切られている部屋。被害は最小限に食い止めることが出来る。床に1cmの油の層ができようが、他の部屋には影響はないのである。なんという便利さ。

居間にはオーディオを配置し、何百枚とあるCDを野放図に散らかす。CD風呂を作る。ふと手に触れたものを好き放題にかける。今まではCD棚の奥底に眠っていた市井沙耶香 in CUBIC CROSSとの数年ぶりの再開とかが自然と起きるわけである。素敵だ。


そして、最後の部屋は自慰部屋とする。ダンボールの4面に拡大した写真を貼り付け、渋谷のスクランブル交差点の中央からの視線360度を完全に再現する。床はちゃんと横断歩道のシマシマを再現する。さらに、写真の中には、交差点の中央に冷たい視線を寄せている若者を配置する。

その真ん中でエロ本を静かに開き、自慰にふける。なんという居心地の悪さ、そして気持ちよさ。この雰囲気に興奮し、自慰の時間も短時間ですむために、忙しいビジネスマンとしての私のタイムマネジメントに一役を買うのである。

欲しい。間仕切り。


あれ?これって書きましたっけ

携帯電話で出来るゲーム、ファイナルファンタジーⅠをやった。

一ヶ月500円(二ヶ月目から100円ですけども)で得られるファンタジーに心弾ませながらちまちまと携帯電話をいじる。もちろん、主人公の名前は「しまんと」である。ゴブリンを剣でたたききる。ゾンビを魔法で黒コゲにする。この悦び、このときめき。

しかし、ちょっと進めると「ウルフ」という敵が出てきた。うん、狼。強いよね。ファンタジーじゃなくて現実にもいるけど、出会うと怖いよね。危うくファンタジーから現実に戻されそうになりつつも、狼を殴り殺し、先に進む。

エルフの町にたどり着く。眠って起きないエルフの王様。助けるために目覚めの薬を手に入れなくては!目覚めの薬を手に入れるために長い長い森を進む。

すると、敵として「サソリ」が出てきた。サソリは強い。サソリは攻撃力高いし、毒食らうし、先制攻撃よくされるし超強い。決死の覚悟で逃げる。逃走に失敗したらやばい。たぶん、毒で瀕死の状態になる。全滅する。ドキドキするひと時だが、同時に頭の中に手のひらにちんまりと乗るサイズのサソリを思い浮かべ、釈然としない気持ちになる。

うん、現実にもサソリいるけど、確かに刺されたら死ぬしね。危ないよね。刺されても死なないなんて、すごいファンタジーだ。

そうこうしているうちになんとかボスを倒した。攻略も軌道に乗って川を渡れるカヌーを手に入れた。これから意気揚々と川を渡り、クリスタルを手に入れるのだ。行くぞ。オウ。



で、今、私は川に出現するピラニアと死闘を繰り広げている。


速報

速報です。
今やっている、世界ウルルン滞在記スペシャルでは、「ソニンがバスク地方の女綱引きに参加してくる」という企画をやっています。どうみても綱を引くソニンの顔は、赤子をひねり出す顔です。

テーマは出産、とみましたがいかがでしょうか。


危機意識

ごぶさたしております。漫然とすごしておりました。昨日、うどん屋で一人しこたま飲んでからぐっすり眠って、起きたら昼の1時。素晴らしい日々です。漫然を自分の宗として生きていきたい、そう思うわけです。

漫然といいますと。

私の地元の広島県の北というのは、台風もあまり来ない、洪水もない、地震もほとんどない、ということで非常に平和な土地であります。ま、そういうところで漫然と暮らしておったらですね、危機感がうすい人間にそだってしまうわけでございます。

それにしても関東は地震の多いところでございます。毎月少なくとも1回はグラリとした揺れを感じます。まあ、こうも揺さぶられますと脳みそまで液状化してまいりまして、さらに漫然と毎日を過ごすことになるわけで。

本日なども軽く震度4程度の地震にあいました。

ちょうどそのとき私めはトイレにて大きなものをしている最中でございまして、そこに久しぶりにパンチのある揺れ。グラグラグラー、おおー、便座がキシキシと音をたててずれます。いつもは、「ん?揺れてるね?」くらいでやり過ごすさすがの私も、一番油断しているときの思わぬカウンターパンチに焦りまして。もうキョロキョロしながら叫んだわけです。

「まずい!紙!拭かなきゃ!」

なんでしょう。自分の危機感の薄さ、というか危機意識の間違い方に久しぶりに一人落ち込みました。こんなんですとあれです。

ラーメンを食べているときに震度6の地震とか起きたら

「まずい!スープこぼれる!持ち上げなきゃ!」

って焦るでしょうし、小倉智昭とエレベーターの中で一緒になってるときにエレベーターが落ちたら

「ヤベッ!おさえてあげなきゃ!」

と思うに違いありません。ええ。間違いないです。ですので、火事が起こった後、ロックアイスの袋を抱えて黒こげになっている人間をみたら、私だと思ってくださってよいです。よろしくお願いいたします。


天の思し召しでは、たぶんない。




新宿駅のみどりの窓口前ですれ違った外国人。

ピンク色のストックを1本だけ持って、誰かと携帯電話で話していた。日常がとろりと歪む瞬間。

なんなんだ。この理解しがたい事態は。今はまだ秋だ。日本では初雪も降ったか降ってないかだ。いやいや、そもそも冬だからといってストックを一本持ってたたずんでいる外国人がいたらおかしいだろう。

頭の中が不安に淀む。その不安を解消するため、冷静に考えてみる。俺には理性がある。

第1案:彼はストックが好きなのだ。
だからいつでもストックを持っている。みどりの窓口で新幹線の指定席券を買うときでも、お風呂に入るときでも肌身離さず持ち歩いているのだ。うん、それなら新宿駅でストックを一本だけ持っていても不思議じゃない。

いつも口をついて出てくる言葉、「ストック大好き」。
いや、待て。「ストック大好き」って尋常な事態ではない。
不安を解消しようと思って理由付けをしたが、逆に不気味な人間像を作り出してしまった。なんてことだ。


もっと自然な案を考える。「ストック大好き」なんて妙な趣味を持つ人間像をつくりださなければいいのだ。


第2案:ストックを1本だけ持たざるを得ない状況に追い込まれた。

仕方なくストックを一本だけ持たされた。この理由ならば、彼が「ストック大好き」なんて不自然な言葉を発さなくてすむ。

彼にストックを持たせたヤツは誰だよ。そもそもストックを1本だけ人に持たせるやつがいるほうがおかしくないか。そう憤る向きもあろうが、そこに関しては古来よりの伝統の解決方法がある。

これは「妖怪ストック持たせ」の仕業であります。



万事解決。私は安心して電車の旅を進めることができる。


漏れそうだから急いで更新だ。

ものすごくおなか痛いですが、特集を更新しました。
といっても昔書いた奴の書き直しです。

ラーメン作った奴です。ラーメンのくどさとは裏腹にあっさりとした仕上がりになってます。

よろしくどうぞ。


思い切りのよさ

050919_1113~01.jpg

いいハンコが出来そうです。


君は広島弁を見直すか?

最近はだんだんと過ごしやすい季節になってきまして。

季節に敏感な私めは、「あー、もう春じゃのう」と思うわけでございまして。まあ、そんな春にちょっといきつけの焼き鳥屋に入ってビールを一杯。

クーッ。

なまぬるい風と冷えたビールの愛称は非常によいわけでございます。あまりの機嫌のよさに普段は話しかけない焼き鳥屋の大将に一声かけてしまいます。


私 :「大将!今日のおすすめはなんじゃっ!」

大将:「ヘイッ、今日はいきのいいカエルがはいっております」

私 :「オウッ、まあ、あんたんとこは海のものとも山のものともつかんものを出すのう!」

大将:「ヘイッ、両生類ですから!」

私 :「まあええことよ。じゃカエルたのむわ。」

大将:「ヘイッ!カエル一丁!」

奥で大将が焼きにかかります。だらしなく伸びきったカエルの全身を丁寧に裏返し、表返し・・・とまあ地獄絵図のような光景が繰り返されたあと、私の前にこんがりと焼けたカエルが出てまいります。

大将:「ヘイッ!お待ち!塩ついてるんでそのまま食べてください」

私 :「オウオウッ、ハフッハフッ、うーん、パサパサしとるのう。」

大将:「まあ、それがカエルってもんでございますから」

私 :「いーや、にしてもパサパサしすぎじゃのう。味もなんちゅうか淡白じゃねえ。」

大将:「その味のない透明な感じがまたオトナにはよろしいもんでして」

私 :「その透明感は大人げない」

大将:「は?なんでございましょう?」

私 :「その透明感は大人げない」

大将:「ヘイッ!」

私 :「まあ、なんにせよこれはあんまりよくないカエルじゃろうが」

大将:「そんなはずはございませんぜ、もう活きは最高ですよ。とれたてピチピチ。」

私 :「いんや、前食ったのは鯛と鳥の相の子みたいでしっとりしてうまかったけえ。」

大将:「ヘェ」

私 :「あー、分かったわ。これはあれじゃの、冷凍じゃろ。」

大将:「あ、まあ、そうでございますが」

私 :「お、認めよった」

大将:「まあ、それだけに冬眠明けでございまして。」



おあとがよろしいようで。


悪夢






ベッキーが好きで悪いか

先日は敬愛する浪花のジャニスジョプリン、小林万里子様とお話が出来て泣きそうでした。大好きな曲もかかって、もう天にも昇る気持ち。

すみません、自慢です。



ビジネスマンとして、短いが仕事に慣れるくらいのそれなりの期間、バリバリと働いてきたわけだ。いや、バリバリは言いすぎた。バルバルでいい。

仕事は様々な案件を一人で任されるようになって自己効力感も高まってきた。「ガンバリやさん・・・」なんて自分に声をかけることも多い。

しかし、その自己効力感は同期入社の人間に会うとどうも失せていく。というのも、彼らと会うといつも1つの劣等感を持つからである。

なんで、こいつらはこんなにパリッとワイシャツの袖をまくれるのだ。

まだまだ長袖では暑い日も多いから、ワイシャツの袖をまくる。同期たちは一様にその袖がまるでアイロンでもかけたかのように綺麗なのである。どいつもこいつもパリッとした、同様の厚みの、平行な折り目をしっかりつけている。

対して私はヨレヨレ。あるいはフニャフニャである。悔しいのでキチンと折ろうと努力もしてみたが、斜めになったり皺が入ったりと全く持ってうまく行かない。

これは何かの陰謀ではないか。社員全員に配られて、私だけに配られていない秘密の「月刊ビジネスマン」みたいなのがあって、その中でフローチャート付きの袖のまくり方とかそういうのがあるんじゃないか。
「形状記憶のときはこうだヨ!」とか。
「ハムスターはきれい好き。綿のシャツはシワがつきやすいからハムスターのように砂あびしながら折ってみて!」とか。

あるいは、私は知らない「シワなし袖折り室」というものがあって皆朝出社後、そちらでプロの袖まくり師にピキッと折ってもらってるんじゃないのか。ベッキーにそっくりな人気袖まくり師とかもいて、彼女のところだけ行列してるんじゃないか。

意外に社会に適応している私をみて腹のたった会社上層部が、新たなリストラ策としてそういうワナを仕掛けてるんじゃないのか。チクショウ。俺は負けない。幸いもうすぐ秋だ。袖まくりの季節は終わる。私はスーツという鎧を着て上層部に対抗していこう。

まず、それにはスーツに開いた穴をなおさなければならない。



CGI