物語その8

姿がおかしい人に会った。

顔色は悪いし猫背。肩を落としてトボトボ歩いているかと思ったら突然両手を地面につけ、地を慈しむようにのそりのそりと歩く。その背中には妙なでっぱりがあったりする。

四つんばいになってのそりのそりと歩く彼の後ろからテレビの音声が聞こえる。

「ウミガメレイプが問題」

どうも、ウミガメをレイプするのがはやっているらしい。執拗にアップにされるあのウミガメのタマゴ生むところ。ちょっと出っ張ってて穴が開いててうねうねしているやつ。ヌメヌメとしていて妙にいやらしい。

私もなんとなくムラムラするんだけども、そのでっぱりの彼はテレビのチャンネルを変えようとする。あ、っと気づいたが、彼はウミガメと人間のあいの子だ。そうだそうだ。背中の出っ張りは甲羅じゃないのか。

彼にそう指摘すると「違う違う」といいながら首を高速で出し入れし始める。いや絶対そうだって。母ちゃんウミガメかー。ケタケタ。


景観傍観力

守りたい景観がない。

私の故郷の広島県庄原市というところは、盆地とパチンコ屋と田園と荒れた山々に四方を囲まれた細長い箱庭で、その景色は国道183号線に沿って広島市まで延々と続く。この地域にとってはむしろ変化そのものが喜びであり、

「三次にはなまるうどんができたってのー」
「ウヒョ、行かんとネ!」

とか、

「ザ・ビッグ(中型ショッピングモール)が庄原にも出店じゃー!」と言って出かけ、田んぼのなかにドスンと聳え立つ四角い物体に「でっけー!」と歓喜の声を上げる。まあそういう感じなのである。

そんな私が東京に来て様々な土地を巡った。京葉線沿いの景色などを見ていると、その工場群や巨大団地がいやがおうにも目に入ってきて、圧倒的な迫力にいつの間にか電車の窓にかぶりついてしまう。新宿や池袋に行けばむせかえるような雑踏があり路地裏があり、東京の西側に行けば閑静な住宅街がにぎやかな商店街がある。東側に行けば下町があり、カスカスになってしまった町工場がある。

どれも私に強い感慨を持たせるものの、どうもそれはその景観自体に何かを感じているというよりは、様々な人の思いや生活のうねりによって生み出された大きなものに対する畏敬の念のような気がする。それは結局、うねりの中に自分はいない、という門外漢的な感慨である。

だからこそ、いいなと思った街の景観がうねりによって形を変えても、まあそういうもんだよなあと思ってしまうし、広島くんだりから出てきた外野がとやかく言ってもしょうがないなあなどと思う。あるところを「悪い景観」などと言って勝手に決め付けるのは甚だどうかと思うが、そういった思い(あるいはそれに対する反発)が今の景色を作ってきたのだろうな、などと考えている。


と、外野を気取っていたが、自分にも守りたい景観ってあるんじゃないかと、ふと今日思い至った。これだ。

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当ページでも数度にわたり紹介しているだいたひかるのファンページだ。(まあ、「景観」の語義からは少し外れるがそこは目をつむっていただいて)

今のページデザインの考えからしてみれば、何このどぎつい背景、リンク切れしてるし。なんか四角いし。悪い景観!となる。

が、個人ホームページ黎明期からサイトを見ている私には、このさわやかな青、マウスで描いた絵、リンクの切れたカウンターの寂しさは強く心に訴えかける情景だ。そしてそんなページから感じられる初期衝動とか訴えたい情熱とかは眩しいほどである。2カラムだ、3カラムだと整備された画一的デザインのBlogから、こんな情熱は浮き上がるだろうか!(当ページしかり)

失われ行くこの類の初期衝動ページを見ながら、「悪い景観を守れ!」と一言叫びたくなるのだ。どうも結局コミットメントの度合いだけという。一貫しないものですねえ。ハイ。


今日の鈴木と。

「ウエンツ瑛士が潮をふかせるというのはどうだろう」

「なるほど」

「速水もこみちが潮をふかせるというのはどうか」

「それはまあ、いいんじゃないかねえ。」

「桜金造が潮を吹かせるというのは?」

「それもいいんじゃないかねえ」

「じゃあ、織田裕二が潮吹かせというのはどうか」

「了解。」

したり顔で頷く我等。その思いを持って東京湾へアクセルふかすぜベイベー。


ニュース速報(3週間遅れ)

ところで、すみません、皆様には報告していなかったんですけどね。私はもう数週間前に知っていたんですけどね。黙ってて申し訳なかったんですけど、今言います。言うから許してください。

2月末をもってキューティーマミーから堀ちえみが脱退してます。
ブルボン「くだものいっぱいゼリー」のCMには既にその姿がありません。でも公式ページには「休止」と書いてあって、なんとなくドロドロしたものを感じます。

たぶん、堀ちえみは松本伊代の髪型がいやだったんだと思います。うん、いやだたんじゃないかな。


超スリッパ宣言

・引越し先のダイニングの床がフローリングだった。

・せっかくの新居なのでいろんな人を呼びたい。

・私は実家にいるころからトイレ以外でスリッパを履く習慣がなかった。

この3点の要素が揃った人間がスリッパを買うと、こんなことになる。


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そして私はこんな状態になってからようやく頭を抱える。


用便願いま〜す!

Won't 尾篭。

Won't 尾篭。

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最近、職場の暖房が強すぎるという声が高まり、社内で大きな運動となった。

確かに温度は高い。ひどい日には30度を超えることもあり、さながらパラダイスの雰囲気をかもし出している。椰子の木でも植えたい気分だし、そんな中で食べるサッポロポテトバーベQあじはリゾートの味がする。

この問題には会社の総務部門も重い腰を上げ、真摯に社員の声を聞き、職場改善に積極的な動きを見せた。全館空調という大きなハードルを越え、問題は頼もしい速度で収束を迎えつつある。

しかし、真の職場改善にはまだまだ根本的な問題が残っている、と私は便器に座り、頭を抱えながら考えている。そう、問題はこの便器だ。

私の毎日の用便スポット、2Fの男子トイレの洗浄の際の水量が異常に少ないのである。いつもここでしていることは同じだ。

排便!

流水レバー!

汚物残り!

レバー!

汚物残り!

レバー!

レバー!

レバー!

全く水流が足りないのである。ザボーと音だけは頼もしいくせに、その水流はすぐに止まり、流れかけた汚物はすぐに戻ってきてしまう。前の人の汚物を水面に見つけることもままある。大変不快だ。ES(Employee Satisfaction)を高めるには職場の温度などより、このことこそすぐに取り組まなければならないのではないか。

しかし、同じフロアに働く皆からその声は上がらない。その理由はなんとなく分かる。そんなことを訴えてしまうと、訴えた本人に「流しきれないほど巨大な大便をする人」というレッテルが貼られてしまうからである。かく言う私もそうだ。職場ですれ違う人すべてに「お、大便さんが通る!」とか噂されることを考えるだけでゾッとしてしまう。

とは言っても、このままでは何も変わらない。変革が命のこの社会において、こんな便問題で停滞していてはいけないのだ。変革には行動こそすべて。

そういうわけで私は皆にクッキーを勧めている。みんなこのクッキーを無駄に食べて、比較的大きな大便をするようになればいいんだ。そうすればトイレのうんこももっと流れなくなるんだ。変革の布石となる行動を起こせて私は大いに満足している。


ダイナミック飛躍

近所のスーパー「フジマート」は、ボリュームたっぷりな惣菜や、ぽろりと存在する激安野菜などでいつもお世話になっている。愛しているとは言わないが、ありがとね、とウィンクの一つでも送りたくなるようなスーパーだ。

そのフジマート、1Fに生鮮食品、2Fに乾き物を置いているのだが、この2Fがめっぽう遠い。店内の一番奥にある毒々しい緑色の階段を30段くらい上がらないとたどり着かない。しかもその階段の途中はたいそう天井が低くなっており、身長が175cm程度しかない私でも腰を曲げて通らなければいけないような難所である。2Fにたどり着いた時には、一体自分は何を買いに来たのだろうと自問し、ワケも分からずのりたまを買ったりしてしまう。先月などは、階段を登りきったあたりにカゴを抱えたお爺さんが倒れており、ああ、フジマート砂漠よ。と思いながら脇をそ知らぬ顔をして通り抜けたりもした。

そんな状況には経営者も頭を悩ませていたようで、ついに今月、フロアを完全に改装することに決めたらしい。

出口付近に「フロアを変えます!」と、堂々たる宣言を掲示し、いかにその改装が素晴らしいことか、隣に客の褒投書を貼り、ニコニコ笑顔を貼り、ハレの気を演出している。

しかし、その中の一角にこんなものがあった。

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ハレハレ。何をしたいのか全く分からない。
まあ、そうだ。風がなけりゃあ、ねえ、船長。


あんかけ肛門期

あんかけそばにかける七味が好きだ。

ぼんやりとしたお出汁の味にひらりと刺す唐辛子の辛味がいい。
黒くしょうゆの強い汁に一片の陽光を差す陳皮の清清しさがいい。
ぬっとりとした食感に、からりとした異物感を持たせる麻の実の堅さがいい。

しかしながら、何よりも良いのは、黒くとろみのついた汁に、はんなりと赤や緑の粒が「乗る」その風情がいい。

ひょうたんを振る。先端からそろりそろりと出てくる粒と粉の間の大きさの七味。唐辛子や青海苔は、はたりはたりと汁に乗る。そして麻の実は自分の周りの汁をほんの少し押し退けて汁の表面に留まる。

その、乗る・留まる感じに、自分が汁を、そして七味をコントロール出来ているという感覚を覚えるのだ。俺はお前を沈ませなかった。このまま表面に留まれ!ああ、何たる自己効力感!

こういう感覚はどこかで経験した覚えがあるなと思う。成程、それは中学生の時分に試しに投げてみた砲丸であった。陸上部の友人に教えられるがままに鉄球を肩に乗せ、顎と手で挟みこむ。腰を回転させ、同時に押し出す。そうして投げ出された鉄球は、ただ投げたものと違い、くっと宙に留まるのだ。

あんかけは食べるにつれてゆるくなる。そうして乗っていた七味は器の底に沈んでしまう。そこに砲丸の着地のときのどすりとした感触と同じものがあれば完成された娯楽になるのに。

そんなことを考えながら、最後に残しておいた麩をずずっと噛まずに啜る。麩が吸い込んだ出汁と表面に残る七味が最後の雄叫びを上げる。


広島の方へご報告

えー、広島の方にしか分からない話題で恐縮ですが、章栄不動産のCMが東京に進出しています。小野真弓のガッツポーズも健在です。

あと、前から気になってたんですが、「グループ力、自信」編のとき、「設計」と言う女性だけ立つんですが、なんで立つんですかね。いや、まあ設計重要だけども。立たなくていいじゃん。


今日の鈴木

菊池凜子。

略してちんこ。


(四万十川より)
そうなると菊池寛はちかんですね。