私には2歳10ヶ月になるたいそうやんちゃで鉄分の強めな息子がいる。昨年末くらいからようやくまともに会話ができるようになってきたので、色々インタビューしてしまう。
「今日は何をしましたか?」「銀座線に乗って、それから山手線に乗って有楽町に行った!」
「◯◯君と会ってたのしかったですか?」「楽しかった!よんぱーご借りた!」(485系のこと)
「好きな女性のタイプは何ですか?」「滑り台の人」(大江麻理子のこと。モヤモヤさまぁ〜ず2で滑り台に乗っているところの印象が強いらしい)
そういう彼の語彙に制限された回答の範囲で、ぼんやりと薄暗くだが、彼の世界を把握することができ始めている。
そんな中で、彼が最近カメラに興味を示していることが分かった。親がしょっちゅう自分に向けてバシバシ撮るのだからそれは仕方ない。ちょうど机の中で眠っていた昔の愛機(初代GR Digital)があったので、持たせることにした。
するとまあ、撮る。結構撮る。自分が好きなもの、驚いたもの、見知らぬもの。父、母、冷蔵庫、床、草。何を考えてるのか知らんが、とにかく気になるものを撮っている。
で、そうやって撮られた写真をあとで見てみると、よく言う「子供ならではの視点」とかそういったものの新鮮さみたいなのはまあ、なくはない。なくはないが、写真自体に大して価値のあるもんでもない、と思う。
それよりも「彼を知る人間として、なんか可笑しい」。それに尽きる。見ていると何か笑いを誘うものがあるのだ。とは言え、この可笑しさの正体を考えてみてもなかなか正体がつかめない。
言葉の少ない彼の世界の中に突然鮮明な映像が出てくる。それは薄暗闇の中に強烈にたかれたストロボみたいに妙にクッキリとあらわれてくるように感じる。でも、それが冷蔵庫かよ!という落差だろうか。
もしくは、こいつ、独立した意志をもって何かやってる!という驚きとないまぜになった可笑しさだろうか。
もちろんこれまでも彼に関してはこれまで自分なりに把握しているつもりだが、それはいっしょに話したり、直接わしわし弄ったりしながらのかなり直接的なコミュニケーションの中で作られた像であって、自分と彼との関係性が強烈に反映されている。
それが写真になると、その関係性が一旦白紙になって、彼独自の言葉を持たないストーリーが展開される、これが意外性をもって目に飛び込んできて可笑しいんじゃなかろうか。
なんてことを考えてみたが答えは出ない。まあ、とにもかくにも、願わくば、手振れ補正のあるカメラを与えてやりたいもんだ、と親は思う。
最新版は手振れ補正ついてんだよな。