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やさしさというよりは、自己保全。そして劣情

先日、プロが失敗するのを見ると悲しくなる、と書いたが、よく思い返してみると、女性が失敗するのを見ても悲しくなっていたたまれなくなっていることに気づいた。いや、跳び箱の上にチョコンと乗って「飛べない〜」とか言う奴は「今こそ、今だからこそIZAMに抱かれて死ね」、と思うが。

しかし、小学校の授業でキックベースをやっていた際。同級生の中でも一番かわいい近藤さんがバッター(キッカーか)となり、助走をつけてボールをキックしたところ、足がボールの上に乗ってしまい、そのまま滑って地面にしこたま頭をぶつけて脳震盪をおこしてぐったりしてしまったという事件があった。

これが男だったら単に心配するだけで済むのだが、クラスで一番かわいい近藤さんである。私は心配云々よりも、その事実を消去することに躍起になっていた。しかし頭の中で繰り返されるあの見事な一回転。夜、布団に入っているときにおそってくると抗うこともできず、「うわあああああ!」と深くうずくまるのみである。

こういう傾向から鑑みるに、私は女性を対等の、同じ生き物としてはみていなくて、ある種完全なものであると考えてるようなクチがある。距離感が遠く、現実のものではない。近藤さんの失敗は自分の中で抱いている女性イメージにそぐわないから、その事実の消去にかかるのである。なんとなくこういうところに自分の対人スキルのなさの源泉があるような気がする。

ただ、そうは言いながらも、先日場末の卓球場で卓球をたしなんでいたとき、隣にいたリクルートスーツ姿で卓球をしている女性がサーブを失敗しているのを見て、「エロいなあ」と興奮してしまった。

なんだろうこれは。私の抱いている完全な女性のイメージがこれか?などと少し狼狽したが、なんのことはない。見知らぬ女性をエロの記号として見ているだけ、つまるところリクルートスーツで卓球というのが自らの持つエロのイメージにそぐっているだけなのだ。こちらは人としてすらみていなくて、結局距離が遠い。

自分の中の完全なる女性像、あるいはエロ像にそぐわないものはなかったことにしてしまう。そういう人との付き合い方をしている私ですが、今後ともよろしくお願いいたします。

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私が全面的に応援し、公式サイトの運営もしている「クリトリス・ガールズ」というバンドがあるのですが、来週の土曜日(12日)に日本橋三越本店で2時間の無料ライブをやるそうです。

私もメールで聞いただけなので事情がつかめないのですが、三越、クリトリス、という組み合わせは甚だしく情熱的です。気になる方はお越しください。