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いまだに「コータローまかりとおる」の意味が分からない。

危険は分散すれば薄まるものだ、という考えがある。例えば雷の鳴る原っぱに一人でいると恐ろしくて仕方ないが、数千人がいれば、恐怖もそこまで感じない。

例えば百害あって一利なしなどと言われながら一人でタバコを吸う猛者はほとんどいなかろうが、禁煙している人に「ホラホラ」とタバコを勧める臆病者(私のことだ)はいくらでも居る。これも赤信号を1000人くらいで渡ると怖くないという理論と同じ意識に根ざしているのかな、とか思っていた。

先日、赤坂にて少し休憩したいと思い、フラリと喫茶店に入った。ジャズの流れる店内。落ち着いた雰囲気の中で店主がキコキコとカップを拭いている。店内には先客1名。

グッタリとした疲れを固めの椅子で低速で癒しながら待っていると、やがて店主が手を止め、私にメニューを持ってきた。

使い古されたメニューをパサリと開くと「ブレンド 1500円」と書いてあった。思わずメニューを閉じてあたりを見回してしまう。改めて開く。ブレンドの下にはモカ1800円と書いてある。ああ、グルグル廻る。いつもいく南千住の店はチューハイ200円。チューハイ5杯に目玉焼きとまぐろぶつと・・・と酒と肴が頭に浮かぶ。果てには、何故か貝とかがパックリ開いている画が。

とはいえ、ここで「すみません!払えません!」と出て行く度胸もなく、仕方なく一番安いブレンドを注文。
都会の罠は何食わぬ顔をしてぽっかりとその口をあけている。とかブツブツとつぶやきながら備え付けのスポーツ新聞を開き、気を静める。

そうしていると2人組みの客が入ってきた。店主はメニューを持っていく。メニューを開く。スッと影が差す。ああ、ありがとう。不思議と「罠にかかってしまった」という自責の念が薄らいでいく気がする。酒を飲みすぎた翌日に飲む冷たい水のようにものすごく甘美だ。もっと来い。客。もっとだ。

思っていたらまた客が来た。またメニューを見て顔が曇る。そこまで劇的にうまいわけでもないコーヒーをすすりながら愉快があふれてくる。ああ、楽しい。共犯意識ならぬ、共罠意識が私の心をくするぐる。「自分だけ罠にかかってしまう」という危険からの分散にとどまらぬメスカリンのような時間。1500円を払って店から出ると、大声で心の底から「この店はすばらしいぞ!」と叫びたくなった。これか。

小欄のような毒にも薬にもならないページを作っている私と、それを見ている皆様もその共罠意識に毒されているのかもしれません。あんまり考えすぎないほうが、たぶんこのまま素敵な日々がずっと続くんだろう。