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終わりがないのさエンドレス

先日、さわりだけご紹介したのですが、とある地方都市の博物館に行ったら「園児が描いたマンボウ」という展示会がありました。

愛らしい外見をしているとはいえ、なじみのないマンボウという題材。この難行を園児はどのように乗り越えたか。その軌跡を少し見てみましょう。

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ツインビー

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やん ゆんそん君の作品。緑、黄色、赤、青。こんな色はマンボウにあったか?と思わせる素敵な配色だが、目を奪うのはそのツインビーと見紛うフォルムと、ザクザクとしたソリッドな輪郭。

全体的に、マンボウから程遠いものだが、この尾びれのもやもや感は「あれ?アフロヘアの前髪部分ってどうなってたっけ?」とか「関根勤っていつもどんな格好してたっけ?」といった日常の知の隙間をぬう疑問にハッと気付かせてくれる。真実から遠いだけに、自分とは別にある真実を認識させてくれる稀有な作品である。




諦観

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下部のスッとした描線はその「何とか書こう」という意志を感じさせるものの、次第に上部から尾部のもやもやとした迷いを感じさせる線に変化していく。

その迷いはすぐに諦めに変わる。中央部の謎の黒線や、輪郭を無視した塗り潰し、そして塗りつぶしに入ったものの塗りつぶせないそのたたずまいは明白に作者の絶望(飽きた、とも言う)を示している。その姿はファッション紙等に載っている「おしゃれな人の家」のコーナーに奮起して、東南アジアっぽい内装にして壁にレコジャケを飾ってみるものの、その実、部屋の床にはサバ味噌の缶が転がっている、といった、「なれずもの」の姿を想起させる。






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智慧を感じさせないその空虚な口元、そして斜め上方を見つめる目。しかしその輪郭は痛々しいほどの棘によって象られている。象られた灰色の肉体。血の赤。それは例えば東京・山谷の安宿に似たガサガサの質感。

左下に描かれたくっきりとしたハートがその空虚さに拍車をかけている。目の前にある(そこに描かれた)現実を無視した痴だ。これは。




NOW

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今まで以上にマンボウという存在を無視した造形。その表象を「いま」という文字で彩る。何なのだ「いま」。

仮に「今」だとして、今、こんなのがいたらすごくいやだ。仲のよさそうな「いま」。

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結局、意図せぬところで生まれたもの(違う、「鑑賞する者の想像する何者かの意図を離れたもの」か)に敵う術はない。ハッとする美しさにただこうべをたれるのみなのだ。