<< 路上の恥はかきつくした。 | main | 大量死の時代 >>

学習性無力感

よいよい。

#

僕の会社のある駅は列車の一番先頭車両方面に出口がある。でも、列車に乗るときの入り口は最後尾にある。

いつも遅刻しがちな僕は、いち早く会社につくため、列車が来るまでの間、なんとか先頭車両に近付けるようにずんずんと進む。

でも、だいたい途中で列車が来て、軽い挫折を味わいながら乗り込む。静かに数駅という絶望の時間を過ごしながら移動し、会社のある駅で残りの距離を歩く。列車の中をずいずいと進むという手もあるが、満員電車の中では身動きもとれず、そううまくいかないのだ。

そんな感じで列車の中でじっと気持ちをうずくまらせて日常を過ごしていたら気付いた。

途中の駅で停車中に降りて、より先頭車両方面に歩き、扉が閉まる時点で再度列車に飛び乗ればいいのだ。

試してみる。乗った時点では最後尾だったけど、6駅くらいかけて先頭車両までたどりついた。

自分は日々成長しているな。そう思う瞬間だ。だけどなんでしょうか。この根無し草のような心もとなさは。

場所を変えるたび、中華定食屋で相席になってしまって先にいた人に軽くおじぎをするような、そんな気まずさを感じる。

相席した人に先に酢豚定食が出てくる。向かいの席だから目のやり場がなくてなんとなく酢豚の内容を見たりする。この酢豚はタマネギが固そうだな、頼まなくてよかったなとか思う。目が合う。あわてて目をそらして店内に目をやる。よそよそしくメニューの張り紙が目に入るだけだ。よけいうずくまる気持ち。

座席のはじと扉の間の三角コーナーにたたずんでる人をみて、そんなのを追体験しているような気がして、ワク線のないマンガの1コマにいるような気持ちになるでがんす。

そういうわけで、結局じーっと同じ車両でたたずんでなんとか居場所を確保しようとあがくのです。

#

関係ないけど、先日プチ日記の1月15日の日記でやっていた「ティッシュ入りハンバーグ」を見て思い出した。

以前読んだとある本に書いてあったのだけど、ベトナムの屋台のフォー屋(SHOW-YAみたい)では実際にティッシュを入れて、かさを水増しをしているとのこと。

水増しっていうんだから、水ふやせばいいのに。って思った。実際ティッシュに「鼻セレブ」を使ったりすると、どういう方向性なのか理解に苦しむことこの上ない。「舌ビラメの味噌煮」とかそんな感じ。

#

27歳になってもまだ舌ビラメのムニエルを食べたことがない。