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さらばゴールデン街(この一節の遅さもまた一興)

以下、くだらない自分語りで申し訳ないです。

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酒や居酒屋に求めるものが知り合いと違っていて難儀する。

「バカ話をしたい」という、まず第一の共通の目的を持っているものの、知り合いは酒や居酒屋に「おいしいご飯」と「おいしい酒」を求めている。しかし私は「場末」と「酩酊」を求めている。このすれ違いは大きい。なんせ私の気に入った居酒屋に連れて行くとまずいわ、わびしい気持ちになるわ、安くて質の悪い酒を飲まされるわで、むしろ同席するみんなの口数が少なくなるのである。

私が間違っている。「場末」の雰囲気を楽しむということは、店のたたずまいだけで物事を判別するような、どうしようもない危険と表裏一体の関係を持っているし、「感」というようなあやふやな感覚に誰かを巻き込むことはあまりにも知り合いに課す負担が大きい。

でも、私はこの「場末感」にとらわれる。場末はいい。半額シールを貼られたスーパーの惣菜のような、「出会えた嬉しさと悲しさ」を感じることが出来る。

これはおいしいものを食べることによって得られる幸福とか喜びとかそういったものとは全く違ったベクトルにある。自分の中にくすぶる何らかの枯渇した感じ。それを潤すでもなく、枯渇したまま上からガサガサのシーツをかける。その接点はジャリジャリと心地よい音を立てる。自分はただただそれに耽溺したいと思うのである。

そういった独りよがりな欲望は当然誰とも共有できるわけでもなく、それが大いに知人とのすれ違いを誘うわけである。その事実は少し寂しい。


今日も今日とて北千住の場末で一人飲んだ。

私の隣には初老の男性が一人虚空を見つめながら飲んでいる。焦点の定まらぬ目を無駄にメニューあたりに向け、酒をグビリ。私も店内にかかる「いかの塩辛」の札を見ながらグビリ。しばらくすると初老の男性、咳き込む。えらく長い。おいおい、と思う寸前あたりでようやく咳がとまり、口をおさえていた手を離す。

手に出た唾液が店内の照明を浴びてキラキラと光る。