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幸福とは

人が性的欲求を刺激されるのにはいろいろなタイミングがあるものだ。

身体的にいけば、パンチラであるとか肩掛けカバンで強調されるバストラインであるとか。シチュエーションで言えば、こう困った顔でおろおろしている女性だとか、ラーメン屋でチャーシュー麺を注文するであるとか、太極拳で腕をたおやかにグーッと押し出す姿であるとか(後者2つは私の趣味である。申し訳ない)。

そんな中、私の知人のホモ(ゲイというよりホモというほうがしっくりくる)の方は「男性が意図せずにずぶぬれになった瞬間」に猛烈な性的欲求を感じるのだそうだ。

この「意図せず」というのがやっかいである。例えばプールに行ったところで全員意図的にびしょぬれになっているわけで、これはピクリともこない。超能力学園Zなどでそういったハプニングシーンがあることもあるが、これとて演技でやっているわけで、それが感じられるとやはり小金時である。

私の趣味である太極拳などはとりあえずしかるべき公園などに行けば、なんとか見ることはできるわけだし、チャーシュー麺とてラーメン屋に足しげく通えばいくつか見ることができる。しかし、ずぶぬれはこの日常の中で一切というほど見ることはできない。

本人としてもそれが悩みで、その「出会えば僥倖」というタイミングを求めて、気がつけば水たまりの近くや、ガードレールのない水際をうろうろしているとのことである。そんな、ほぼありえないシチュエーションを求め続ける彼は果たして幸福なのか。

別の知人はそれと対極の状況にある。彼は「マスクをした女性」に激しく欲情するタイプであり、花粉の舞い散る頃には股間のいきり立ちを激しく抑えながら「この世の春だ」と叫びまわる。私はその「二酸化炭素を吐き出してあの子が呼吸をしているよ」と同等の何らかを言っているが何も言っていない風情に感銘し、「ああ。春だからね」と返す。

季節の変わり目、インフルエンザの流行、ヤンキーの爆走など、マスクをした女性を見る機会は世の中には山ほどあり、彼はそれらにしっかりと下半身で反応する。

春先に紅葉する心、秋に芽吹く股間。年中自らの業に憔悴している彼は果たして幸福なのか。

ノーマルたることを自らの是としている私は彼らの業を横目に見ながら、それなりに享受できる幸福を求めて今日もラーメン屋に足を運ぶのである。