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牛について私が言える一つのこと

今日、会社の階段を登っていた際にふと、「炭火焼肉ドナドナ」という言葉を思いついた。

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私の数少ない幼少期の記憶の一つに「リアルドナドナを体験した」というものがある。

小学校に上がるか上がらないかの頃だが、我が家で1頭だけ飼っていた牝牛が出産した。うちに雄牛がいたわけではないから、たぶん自然に妊娠したのだと思う。いわゆるマリア様方式である。

私はまさに出産のその場に立ち会い、「ベッチ」と名付け(それは広島県北地方で一般的な子牛の呼び方であるが)、怖がりながらエサをやり、牛小屋の上にある子供部屋で眠り、その鳴き声で朝を起きていた。

ベッチは黒いまなこがぐりぐりしていて、黒い毛が艶を帯びていてきれいだった。ピンク色のベロがばうんと出てくると恐ろしいが、自分よりでかいのに年下の不思議な生き物で、強い好奇心を持って見ていた。学校から帰る度、牛小屋に足を運び、所在なさげに小屋を歩きまわっているベッチを遠目に見つめていた。

ベッチが生まれて半年くらいしたころ。朝、普段と違う形で起きた。何やら階下が騒がしい。寝ぼけまなこで下に降りてみると、一台のトラックが家の前にあり、ベッチがその中に運び込まれるところだった。

姉は顔をぐしゃぐしゃにしてベッチベッチと泣き叫び、両親は困った顔で見ている。事情を飲みこんだ私は、あっけなくベッチを乗せて走り去る車を追いかける姉を追いかけた。トラックの中にはいつもの牛小屋の中と変わらぬ顔でベッチがおり、砂利をタイヤではじく音とともにあっという間に見えなくなってしまった。見えなくなった車のエンジン音だけが聞こえる中、細長い砂利道を姉と2人でとぼとぼと帰り、ベッチのいなくなった牛小屋のえさ入れに手をかけた。

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その後、そこまで間をおかずにドナドナという歌を知り、食卓に牛肉が上った。私はその度「これは、牛じゃのう」と思った。

死を、個を汎化するな。世の営みをくだらないお前の感情で塗るな、と、今の自分のそういった考えはこのときに出来上がったんじゃないかなと思っている。