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あんかけ肛門期

あんかけそばにかける七味が好きだ。

ぼんやりとしたお出汁の味にひらりと刺す唐辛子の辛味がいい。
黒くしょうゆの強い汁に一片の陽光を差す陳皮の清清しさがいい。
ぬっとりとした食感に、からりとした異物感を持たせる麻の実の堅さがいい。

しかしながら、何よりも良いのは、黒くとろみのついた汁に、はんなりと赤や緑の粒が「乗る」その風情がいい。

ひょうたんを振る。先端からそろりそろりと出てくる粒と粉の間の大きさの七味。唐辛子や青海苔は、はたりはたりと汁に乗る。そして麻の実は自分の周りの汁をほんの少し押し退けて汁の表面に留まる。

その、乗る・留まる感じに、自分が汁を、そして七味をコントロール出来ているという感覚を覚えるのだ。俺はお前を沈ませなかった。このまま表面に留まれ!ああ、何たる自己効力感!

こういう感覚はどこかで経験した覚えがあるなと思う。成程、それは中学生の時分に試しに投げてみた砲丸であった。陸上部の友人に教えられるがままに鉄球を肩に乗せ、顎と手で挟みこむ。腰を回転させ、同時に押し出す。そうして投げ出された鉄球は、ただ投げたものと違い、くっと宙に留まるのだ。

あんかけは食べるにつれてゆるくなる。そうして乗っていた七味は器の底に沈んでしまう。そこに砲丸の着地のときのどすりとした感触と同じものがあれば完成された娯楽になるのに。

そんなことを考えながら、最後に残しておいた麩をずずっと噛まずに啜る。麩が吸い込んだ出汁と表面に残る七味が最後の雄叫びを上げる。