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私にとっての大戸屋がそうであるように

何らかの主義、あるいは漠然とした感情があって、本当は使っても問題ないのに、渋々消費行動を制限することは多い。

情報は欲しいけど路線が相入れないからあの新聞を買わない、とか、〇〇ユーザーのスノッブぶり(スノッブって言葉、今使ってる意味では誤用らしいけど)が嫌だから、便利だけどあそこのサービスは使わない、とか、ホテルを探しているけどあの女社長のやってるホテルにはさすがに泊まれない、とか。

私の知人のMさんもそういう人で、ラルフ・ローレンは親イスラエル企業だから絶対買わない、と言うのである。
あのラルフ・ローレンの洗練された極上のウルトラスタイリッシュ&ファッショナブルなデザインを堪能できないとは非常に哀れで残念である。

この例は衣服だからまだ代用がきくものの、例えばこれが水道局に対しての感情であったら大変である。

飲み水はコンビニで売っているミネラルウォーターでなんとか補えるが、まさかトイレのタンクをペリエでいっぱいにするわけにもいかないし、霧吹をウォシュレットがわりに使うわけにもいくまい。トイレに行けないその人は、うずくまって腹をおさえるのみである。

かようにして主義とか感情は生活から一定の自由を奪うわけである。まあ、主義や感情があるから人が面白いから厄介だ。

ところで以前、私がひいきしているところの野球チームである広島カープが、同じく野球チームであるヤクルトスワローズとの試合に備え、必勝祈願として、乳酸菌飲料のヤクルトを飲む、という儀式を行なったことがある。

ヤクルトを飲み干せ!という意味らしいが、私のような素人目で見れば「それはむしろ敵であるヤクルトの経営を助けているのではないか」と思う。

しかし選手は天使のような顔で「気合が入りました。ヤクルトの流れにさせず、ウチが相手を飲み込んでやります」とインタビューに答える。敵に利する行為も、本人の取りようによっては自らを高ぶらせる効用があるのか。当時はその強引さに感嘆したものだ。

だからMさんはラルフ・ローレンが嫌いなら、まずは直営店でシャツを買い、毎日着て着て、着倒せばいいと思う。服がMさんに馴染んだとき。その時こそがあなたの勝ちなのである。