さっき古い定食屋で昼飯をかきこんでたら、店内でかかっているラジオからこんな話が聴こえてきました。記憶を頼りに書いているのですが、大体合ってると思います。
みなさん、アニミズムってご存知ですか?今日はアニミズムに関する××さんからのお話です。
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先日10年乗った車を買い替えました。これまでずっと乗ってきた車ともこれでお別れ。いろんな思い出をこの車と一緒に作ってきました。だから、お別れの前日に感謝の気持ちを込めてお経をあげてもらったんです。
そして納車の日。とてもピカピカな車がやってきました。でも古い車とはここでサヨナラ。
それで、古い車を出すためにエンジンをかけたんです。すると、車のエンジンが10年乗ってきて1度も聞いたことのないような「ぶおおおん」という音を立てたんです。とても大きい音で、私には泣いているように聞こえました。何度エンジンをかけても同じ。ついには私も、この車と行った様ざまなところを思い出して泣いてしまいました。
きっと、この泣き声は、「これまで乗ってくれてありがとう」っていう感謝の嬉し泣きだったんですね。車はうおおおんという音を立てながら業者の人に運ばれていきました。私はありがとう!と去っていく古い車に伝えました。
物には魂が宿る、っていうのは本当だな、と思ったエピソードでした。
これから新しい車を大事にするからね!
まず、感謝の気持ちを込めて「お経をあげる」。これはよく分からないけど、そういうのもあるのかな。まあ本人満足ならそれでいいんだろう。それから、ぶおおんという異音がして泣いているように聞こえた。これもあると思う。泣いてしまうのも仕方ないかもしれない。
でも「きっと、この泣き声は謝の嬉し泣きだったんですね。」というのはすごい。そう捉えられる自分への自信が。この流れだと普通、「別れるのがつらくなって、やっぱり手放すのはやめました!」とかそういう方向にいくでしょうよ!ねえ。
あと私だったら「使い捨てにして恨まれてる!呪われちゃう!」とかも思うかもしれない。
この疑いもなく物が自分に感謝しているという感覚、けっこうざわざわする。いい話なのかこれは。
まあいずれにせよこの話、「万物に魂が宿る」というより、「人は、自分に都合のいい人格を物に宿らせることができる」という話ではないか、としみじみ思ったのでした。