酒好きのうちの祖父(大正生まれ、故人、広島県北部育ち)は、家族からは「朝朝昼昼晩晩晩」と呼ばれていた。すなわち、朝に大きなコップなみなみの燗酒を2杯、昼にも2杯、夜に3杯飲むのである。これは3日に2升開けるペースであり、いま思うと、まあその、なんだ、飲みすぎだ。
そんな祖父は、本人曰く「大してうまくない」地元の酒をいつも飲んでいたのだが、たまにそれとは違う少しいい酒を飲むと、決まってこう言った。
「この酒はきががたかいのぅ」
家族全員この「きががたかい」の意味が全くわからなかった。とりあえずうまい酒を飲んだ時にそういうのだ。
一度祖父を除く家族で茶話程度に推測してみたことがある。
- 「きが」というのはアルコールの強さのことで、それが高いということなのではないか。
- いやいや、「きが」は辛口のことではないか。キガキガしていると言うと、とんがった感じがする。
- 「飢餓」のことで、飢えるほど飲みたくなるということではないか。
昭和20年代生まれで同じく広島で育った父ですら分からないのではもはや歯が立たない。祖父本人に聞いても「うまいゆうことよ」という回答しか得られず、私にモヤモヤを残したまま彼は一升瓶を抱えて逝ってしまった。
その後、私は大学に入り酒を飲むようになった。飲み会で出てくる安酒をクイっといくと、祖父の「きががたかい」という言葉がちらついた。
そんな中、ある飲みの席で湯豆腐だかなんだかをつつきながら千葉県出身の友人に爺さんの言う「きががたかい」というのが全然意味が分からん、と伝えた。
その友人も当然ながら全く聞いたことはないようだったが、お互いなんとなくこのフレーズが気に入り、一緒に酒を飲むと「あー、きががたかいのう」などと戯れに言い合ったりするようになった。
そんなこんなで10年以上飲み続けた昨年末、その友人と酒を飲んでいたら
「ああ、そうだ、『きががたかい』の意味が分かったよ!」
と言うではないか。爺さんの没後20年近く。ようやく意味が明らかになる。俄然盛り上がる酒席。乗り出す体。
聞くと、なんでも江戸の時より良い酒は杉の樽に入れて運ぶことが多く、その木の香りが移った酒はすなわちうまい。木香(きが)が高い、ということなのだそうだ。
おお、なんと説得力のある語源!さらに彼になんでそんなことを知ることが出来たのか聞いてみたら、今、木をよく扱う仕事をしていて、その中で知った、とのこと。
「きががたかい」話を覚えてくれていた友人がこのことを知ることの偶然に、感謝にも似た畏敬の念を覚えつつ、長年の謎に答えが出たことによる爽快感が自分を包んだ。
同時に、酒を飲む爺さんの笑顔が少し立体的になったような気もする。別に樽酒じゃなくても『きががたかい』って言ってたな。本人もどこかで仕入れてきた言葉なんだろうな。この話をしてやりたいもんだ。
と、とても良い気持ちで家に帰り、家族にもその興奮を伝えたあと一息ついて、冷静になって考えてみた。
あれ?木の香りが由来ってことは方言じゃなくて一般的な言葉じゃない?
念のため辞書で「きが」で調べてみた。
酒に移った樽(たる)の香。
「たまには杉の―の躍り出る奴を呑ませ」〈露伴・新浦島〉
と、実にあっさり出てきた。
ということで、この文章の結論は「知らない言葉があればとりあえず辞書は調べとけ」ということになる。
完全に方言だと思ってたから辞書で調べるっていう発想がなかったんだよ!
以上、よろしくお願いします。本当に申し訳ありません。