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傘を地面に水平に持つ人が苦手です。あるいはブンブン振りながら歩く人が苦手です。

その行為が危ないということよりも、そうやって持つ(振り回す)ことで、誰かにぶつかったり、あるいは尖った先っぽを人の近くに突きつける可能性がある、ということに対する想像力の無さに対する苛立ちのほうが強くあります。

特に階段やエスカレーターを上るときに傘を真横に持っている人間がいると、顔のすぐ前に傘の先端が来ます。このケースになってくると、いよいよ「この人は正常な知能を持って社会生活を送ることができていないのでは?」と思います。地獄の業火に焼かれて死ぬべきである。

…とまあ使い古されたネタを使って憤っているだけでは何も良くなりません。私たちはこの行為を無くす、あるいはこの行為により不快な思いをした人間の心の平静を取り戻さなくてはいけません。今回はそれについて考えてみます。

ひとまず思いつく対応策としては以下のようなものがあります。

・面と向かって指摘する
実際の行為をやめさせるのに効果的でしょう。ただし、指摘する側のエネルギー消費が大きいのと、指摘を受けた人は不愉快に感じ、反感を覚えられやすいので結局逆効果になることも多いと推測します。

・ネット上でグチグチ文句を言って群れて傷を舐め合う
まさに冒頭で私がやっていることです。不快に思った側の心を解放する行為ですが、まあこうしたことをするのは仕方ないと思います。グチグチ言うことの情けなさと、正義面(づら)の間抜け面(づら)と、群れることの危うさを理解していればまあいくらやってもいいんではないか、とは思っています。ただ、問題そのものの解決には全く近づくことはできません。

・自らぶつかりに行く
三谷幸喜氏などが提案している方式ですが、傘を水平に持っている人に対して自分からぶつかり、うぉっ!と痛がります。真っ当な人なら自分の傘の持ち方が悪いのだ、と認識して、傘の持ち方の危険性を少しは意識するようになるだろう、という方法です。三谷幸喜氏の作品はあまり好きではありませんが、この解決策は大変優秀かもしれません。とはいっても、やはり自然にぶつかったり、痛がったりする演技力と度胸は試されるので、誰でもこれを実践できるわけではないでしょう。

とまあ、以上挙げた対処法、それぞれ一長一短あります。しかし、もう少し根本から解決する方法はないか・・・。
考えた結果、私は以下のものを思いつきました!それがこれです。

・傘にベルをつける

えーっと、あの、まあ聞いて下さい。

吉田戦車の「伝染るんです」という漫画にこんな話があります。

人が多く行き交う商店街の真ん中を槍を構えた人が走る。槍には自転車のようなベルがついていて、チリンチリンと鳴らす。人は「こんな道で槍なんて危ねえなあ」と言いながらも避ける。

私はこの話が大好きでして。槍を構えて往来を走る危険行為が、ベルというアイテム1つの出現で一気に無目的なものになるのです。だって、槍は人を傷つけるものでしょう。で、ベルがあるというのは避けて!ということを伝えるってことでしょう。これが合体すると大変劇的な無目的物が出来上がるわけです。素晴らしいですね。そしてそれがひいては槍を持つという行為自体への可笑しさも浮かび上がらせるわけです。

そいういうわけで、この話を応用してですね、世の中で売る全ての傘にベルをつけます。そんなの不可能とか言ってんじゃないですよ、つけるんです。柄のあたりに。そんで、傘をさしているときに当たりそうになったらチリンチリン鳴らします。傘を閉じたときは水平に持って、いつでもチリンチリン鳴らせるようにベルに親指を当てて歩いきます。誰かに当たりそうになったらチリンチリンと鳴らすんです。どうですか。「どけどけ!」とばかりに鳴らすわけです。ただ傘を地面に垂直に持てばいいだけなのに、人に先端向けて雨の日はチリンチリン鳴りっぱなし。

「ギャー痛え!」「ベル鳴らしただろ!」「よけろよ!」

ああ、なんという美しい無目的世界。私はこの世界を傍から眺めていたい!もちろん、絶対行きたくないけども!

・・・・ということで、まったく解決策になっておりませんので、本施策については撤回させていただきます。
何かご質問がありましたらお気軽にお問合せください。以上今後ともよろしくお願い申し上げます。


coldsoup

自称ホームページ第3世代の旗手

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