今日は春分の日、祝日ということで、新宿と北千住近くの柳原という町を散歩してきました。都バスの1日パスを使ってバスだけで何とかしようという計画です。
まずは門前仲町から[門33]亀戸行きに乗り、本所吾妻橋で降りました。降りた近辺でいい壁があったので乗り換えの間に写真を撮りました。
それから戻って路線図を見ていると、[草39]金町駅前行きが新宿を通ることを知り、「そういえば俺は新宿に行ったことがない!」と気付き、そこで降りることに決定しました。10分遅れで来たので乗り込みます。車内ではおじさんが運転手に絡んでいて怖かったです。
さあ、対岸に新宿が見えて来ました。もちろん東京の新宿です。
新宿近辺で下車し、てくてく歩きます。
まあ、これ以上引っ張ってもしょうがないので種明かししますが、葛飾区の新宿(にいじゅく)です。ここは江戸時代から小さい宿場町として存在したところで、この地図のとおりの町がそのまま残っています。宿を思わせるような古い建物は全くありませんが、寺社が多い、静かで落ち着く町です。
なお、江戸時代からあるのに「新」宿と名乗っているのはいわゆる「ケンちゃんラーメン新発売問題」と同様です。
新宿のメインストリートは人が一人もいません。
曲がり角の近くにいい佇まいの蕎麦屋さんがあったので入ります。
店の中に入るとメインストリートとはうってかわって満席。周りの人が食べているものを観察すると、ほとんどの人が鴨南蛮か鴨せいろを食べている。じゃあ、ということで鴨せいろ。
新宿から歩いて北上し、金町を目指します。
金町に付きました。ここから都バスは折り返す路線しかないということに気づきます。バス素人のやることです。仕方ないので京成線に乗って関屋界隈に行くことにしました。理由は特にないです。柴又は素通り。
関屋から北上していると「柳原千草通り商店街」というところにぶち当たりました。ここは非常に見応えのある商店街でした。地元の中学3年生の方たちの研究によると、
昭和34年は116000人程だったのが平成4年には、6200人程に減少しています。しかし世帯数を見ると、約2700世帯から約2500世帯といったように、減少の度合いが異なります。これは、各家庭の若い世代の人がどんどん柳原から出ていってしまったためです。
とのことです。11万人ってすげえな!と危うく信じかけましたが、桁を1つ間違えたのでしょう。ただ、東向島界隈に似た、あの「人がみちっと詰まっていた」感じはよく伝わってきます。
この後、やはりバスで帰ろうと思ったんですが、王子方面や竹ノ塚方面などしかなかったので泣きながら東武で亀戸まで乗り(途中、「東あづま」という世界の東の果ての町を経由)、[門07]門前仲町行きに乗って家に帰りました。