東京、門前仲町駅から歩いて10分くらいのところに「笠置そば深川店」という立ち食いそば屋がある。
なんの変哲もない外観だが、一部では名店、と呼ばれることもあるほど人気だ。その理由はこの店の「できたて」へのこだわりにある。立ち食いそば屋は基本的にスピードが重要。そのスピードを落とし、作り方にこだわる。その姿勢が他の立ち食いそば屋からこの店を際立たせるものになっている。
私は近所に住んでいてこの店によく行くのだが、先日この「できたて」へのこだわりをしみじみと感じる事ができたエピソードがあるので以下に紹介したい。
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笠置そば深川店の朝は早い。6時45分には店を開け、白髪混じりでいい顔をした店主が1人、無駄のない動作で働いている。少し早起きして開店一番乗りで店に入った私は店主に「天玉そば」と注文した後、かなり腹が減っていることを思い出して追加で鮭のおにぎりを注文。
「天玉とおにぎり鮭ねッ」
店主の復唱はとてもフレンドリーでいい声だ。しかし、それを言い終えた途端、仕事の姿になる。目が、動作が、まさに「そば屋の始動」という形で豹変する。
素早い手つきで箱から生麺を引っ張りだして茹で始める。続いてボウルに仕込んだかき揚げを形を整えながら油に投入。丁寧だ。
麺が茹であがれはキリッとした冷水で締め、キレイなお湯にさっと潜らせて丼にイン。
すかさずフライヤーに行き、かき揚げを油から上げる。まだまだ高温でシュウシュウと音をたてているそれを麺に乗せ、かき揚げを入れることに最適化した程よい甘さの汁をかける。高温の揚げ油と汁が混ざってじゅわわわっと気持ちの良い音がする。
最後に玉子をポイと入れ、店主、真顔をやめて笑顔で「あいよっ」とそばを出してくれる。
なんかこの瞬間、説得力のある「そば出来た感」が襲ってくる。「あ、そば、出来たな」って深く感じるのだ。いや、そばが出来る、それはどの店でも起こっている事象だが、「そばが出来たな」と感じる店はそんなにない。わかりづらくて申し訳ないとは思っているが、まあそうなんだ。
もちろん、普通の立ち食いそば屋に比べると、出てくるまでに数倍時間がかかるが、急ぐ時は別の店を使えばよいのだ。どこでも急ぐ必要はない。なんせこの店の特長はできたてだ。
さあ頂きます。うん。「できたて」であることが活きている。麺は独特のツルコキッとした食感が楽しい。揚げたてのかき揚げはザクッとしつつ、その風味をそばのつゆに落としていき、汁がどっしりしたものになる。表面に浮かぶ頼もしいキラキラ油を見る。舌よ、アレがパリの灯だ。うーん、こりゃなかなかおいしいね。
といった感じで、天玉そばを堪能していると、奥から「アチッ、アチッ」という声が聞こえて来た。
何だ?っと思って奥を見るとおやじが鮭おにぎりを握っている。おにぎり用容器を使用しているが、ごはんは炊きたてで容器越しでも猛烈に熱いらしい。
この店、おにぎりまでできたてかよ。
店の中、私とおやじと二人きり。おやじのアチッ、アチッっていうつぶやきにそばをすする音で返す。俺達のウィンブルドン決勝のラリー。アチッアチッ、ズッズッ。アチッアチュッ、ズズズゾゾゾ。
最後まで食う者作る者の交歓を繰り返しながら海苔を巻いて出来上がりである。どうぞ。
おにぎりはとても熱かった。海苔が蒸気で瞬時に湿る。その熱さに私は店主の出来たてへの情熱をみた。猛烈に熱くて食べにくいくらいだ。でも、いや、まあうまい。いや、熱い。
強烈なできたてと格闘しながらようやく食べ終えて、ごちそうさま!と丼をカウンターに上げる。店主に背中を見せて暖簾をくぐりながら思ったのは
「おにぎりまで出来たてにせんでも」
だ。しかし、その過剰さが愛される要因なのかもしれない。普通に考えるとそばを茹でる2分くらいの間におにぎりを作っておけばスムーズなんだろうけど、たぶんあれだ。熱すぎて間に合わないからそばの後にしてるんだな。なんだかその感じがいいな。
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とまあ、過剰なまでに出来たてにこだわった笠置そば深川店、是非足を運んでみてください。