"Baron Coquille" tribute siteコキール読もうぜ
 


直販
鉤屋

 
 
 

私の「コキール男爵」

「コキール男爵」の感想や内容の紹介文を書きたい気持ちは大いにあるものの、書いてしまっては読んでない人へのネタばらしになってしまいます。
そこで「コキール男爵」の感想の代わりに、食べ物に関するエッセイを持ち寄って間接的にその面白さを伝えようというのがこのページです。
読んだ人が、著者と同じように食べ物について語りたくなるという「コキール男爵」の魅力の一端がお伝えできれば幸いです。


[ Menu ]  ---- ----

「溜め息のフライドチキン」

まったくもって庶民的な話になってしまうのだが、私の家はパーティといえばケンタッキーフライドチキンだった。

「今日はおばあちゃんの誕生日だね」「今日はクリスマスイブだね」そんな日は必ず母に手を引かれ、幼稚園の近くのケンタッキーでパーティバーレルを買いに行く。

そして夕食の時間、父親がカーネル・サンダースが微笑む紙のバケツを開け、狐色のチキンをめいめいに配る。それが儀式だった。

手羽の部分がいい、いや胸肉だ、と争いながら食べるフライドチキンは、特別な日に食べるというプレミア感も相俟ってすこぶる美味。家族団欒、何の不満があるものか。

しかし、私はいつも思っていた。

"皮だけ腹いっぱい食べたい"

ケンタッキーを食べ始めると、まず最初にスパイシーな味がしっかりついた皮の部分を食べることになる。そして、皮をあらかた食べ終わった後に淡白な肉が現れ、最後に骨まわりの肉をしゃぶる。こういう食べ方にならざるを得ない。

これがつらいのだ。

最初の一口が一番美味しいビールのように、後半になればなるほど食べるのがイヤになってくる。
まだ大ジョッキに半分近く残っているぬるいビールを見て嫌気がさすように、皮がなくなったフライドチキンを見ると気が滅入る。

ああいやだ。皮だけでいいのに。皮だけで。

誤解の無いように言うと私は鶏肉そのものが嫌いなわけではない。焼き鳥屋にもよく行くし、蕎麦屋に行けば鴨なんばんを頼む。

しかし肉の部分はどこででも食えるのだ。社員食堂のうどんにだってささみは入ってる。
でもフライドチキンのあの皮は他では食えないのだ。

もしケンタッキーが、フライドチキンの皮だけを(焼き鳥屋の「とり皮」のように)三本の串にたっぷりと刺して「ケンタッキー皮だけチキン」として売り出したら、私は毎日でも買うだろう。それが一本700円とかいう法外な値段だったとしても買ってしまうだろう。

ああ。皮だけで。皮だけでいいんだ。

時は流れて40年後。病に倒れ、私は今夜が峠。
意識が朦朧としながら、死線をさまよっている私の目の前に13歳になった孫娘が、狐色の何かを差し出した。

「おじいちゃん。これ。ずっとずっと食べたがっていた皮だけチキン。私がお小遣いで20ピースチキンを買って、皮だけ剥いで作ったの」

言葉にならず涙を流し、孫娘の手を握り締める私。

そして夢にまでみた皮だけチキンを口に運ぶ。

うまい。

その瞬間、私の容態は急変。家族が見守る中、チキンを握り締め臨終。

これが私の理想の大往生である。そこまで言うと嘘なんだけど。


「カラメルに捧げる」

 カラメルソースほど美味しいものはないと思う。

 水にグラニュー糖たっぷり放り込んで鍋でがんがん煮立てて水飴をつくり、つきっきりで焦がし、その色がベッコウ飴ぽくなってきてもまだ焦がし、いいかげんやばいぐらい黒茶色くなってきたところへ、最後にグラスにいれた水をざーっと注いで完成だ。申し添えるなら、水の量とか、グラニュー糖の量とか、注ぐ水の量とか、全部適当だ。

 私はカスタードプリンは作れないので、バニラアイスクリームにかけたり、フランスパンにつけて食べたり、市販のプリンにかけたりしている。まあ、そのままちびちび舐めることが一番多い。

 外で買えるプリンのカラメルソースには滅多に合格点を出せない。合格は赤坂トップスのプリンのカラメルソースぐらいか。まあモロゾフのもいいけど。最近デパ地下によくある、よくわかんない名前の洋菓子店の、大きいトレーごとプリンをつくって、賽の目にきって売るタイプの、表面にかかってるカラメルソースも合格だ(C3というのは何と読むのか、またそのまま読むとフォーデグリーズの時のような薄い恥をかくのではないか。)。

 今ではいつでもカラメルパラダイスに行けるようになった(自分で作れるようになった)ので、もうどこが合格とか重要ではなくなってきたのだが、自分ひとりで何も調べずに誰にも聞かずに勘だけを頼りに鍋をいくつもダメにしながら今の自分にたどり着くまでには、様々な困難があった。

 以前はキャラメル味のデザートというと、一応必ず試してみてしまっていた。
 そしていつも裏切られていた。
 全然カラメルじゃなくて、焦げ茶色じゃなくて、ミルクっぽい、森○ミルクキャラメルっぽい、甘ったるいものがでてくる。砂糖使いすぎだ。いやカラメルは元が砂糖だけから出来ているのだけど。

 高田馬場のイルキャステロという店では、「キャラメルのアイスクリーム」があって、それはキャラメルじゃなくて、カラメルのアイスクリームだった。ほろ苦く、深みのあるカラメルの風味が口いっぱいにひろがる、めくるめく味覚の桃源郷だった。最近いってないからまだあるかわからないし、レギュラーメニューじゃないようなので、常にあるわけではないところが問題だけれど。
でもとにかく若い頃にその店でよく食べた「キャラメルアイス」のせいで、そしてCaramelをキャラメルと読むこともあるというカタカナのマジックのせいで、キャラメルと名のつくデザートに騙される日々がはじまったのだ。

 クレームドブリュレも表面だけが好きだ(カラメリゼとかいうあれ)。

 本稿は、結局何がいいたいかというと、ハーゲンダッツアイスのカスタードプディングは、そこんとこをよくわかった人間が作っているので非常に美味い、買い占めてしまうほど美味いということだ。

 その前のドルセデレチェの件は水に流そうというぐらいに。

いけ

「勿体ない話」

秋になるとアレがやってくる

子供の頃の話である。
今考えるとあの人はお父さんではなく、サンタさんだったのかもしれない。
一体どこから入手してくるのやら
彼が他界した今はもう聞く術もないのだが、父は季節毎に
色々なモノを運んでくる男だった。
しかも半端じゃない量を。
春は絞りたて牛乳を一升瓶で3本、夏は蛍とか笹(七夕用)とか、
冬には牡蠣、それから2メートル位のモミの木(クリスマス用)。
なぜか生ものばかり。ていうか蛍って・・・
腐る前に消費しなくちゃいけないので大変だったけど、どれも新鮮で美味しかった
そう、アレ以外は。

他にどのような食べ方があったのか知らないが
母はおもむろにアレを網で焼きだすのだ
部屋いっぱいに広がるアレの匂い
例えるならタイヤを焼く匂い?
臭い、我慢できないくらい、臭い
こんな臭いモノは味だって不味いに決まってる
母さん、私コレ食べない

私と姉は部屋のドアを占めて迫り来るアレの匂いが入ってこないよう
必死で対抗したものだった

月日は流れて
あれほど忌み嫌っていたものの名前が「松茸」だったということを知った
年に一度の食べ放題のチャンスをみすみす逃していたのだ、私は。

天国の父へ
お願いします私にもう一度チャンスを下さい
もう臭いなんて言わないから
段ボール箱一杯のアレが食べたいよぅ

ヒダカ

「赤の時代」

子供の頃、一番早くちびたクレヨンは何色でしたか。

三、四歳の頃、一番早くちびたクレヨンは赤でした。お日さまは赤、チューリップも赤。電車も赤。車も赤。そんなに赤いものが好きだったのかといえば、そうでもないような気がするのですが、よく考えたら一つだけ、思い当たることがありました。

苺も赤。西瓜も赤。桜ん坊も赤。林檎も赤。みんな大好き。もちろん好きなぱんは、ジャムぱん。当時よく食べていたのは、今よく売られているようなフルーティな自然色のものではなくてそれはもう透明な、赤いガラスを溶かしたような色合いの苺ジャムでした。

妹はクリームぱん派でしたが、私は断然ジャムぱん派でした。実は心ひそかに、カスタードの方がおいしいよな、と思わないでもなかったのですが、当時の私の目には、どうみても柔らかなクリーム色より透き通る赤の方が美しかったのです。

十円玉を握ってぱん屋に行く、「ジャムぱん一つ、クリームぱん一つ下さい。」当時はぱんはガラスケースの中に今のケーキのように並べて置かれていて、パン屋のおばさんが裏側のガラス戸をあけて、茶色の紙袋に入れてくれるのです。その場で開けたり、歩きながら食べるだなんてとんでもない。うちに帰ってちゃぶ台に並べて、お母さんのついでくれた牛乳と一緒に食べる以外の選択肢があるなんて考えもしませんでした。牛乳はたまに苺牛乳のときがあり、これもまた大好物でした。

やがて私の「赤の時代」は、チョココルネの出現により混沌の時代へと移り変わっていきました。泥水のようで好きになれなかったコーヒー牛乳も喜んで飲むようになりました。くれよんの赤は平均的な減少を示すようになり、やがてくれよん自体、全く使わなくなりました。赤への偏執的な思いなどすっかり忘れていたのですが。

甥っ子が二、三歳になると、緑への偏執を示すようになりました。緑の帽子、緑のシャツ、緑のジュース、緑のガム。ああそういえば私も。(今では小学生になった甥っ子は、かつての私同様に、緑への執着をすっかりなくしているのでしたが)

あなたが子供の頃、一番早くちびたクレヨンは何色でしたか。

吃驚

「はじっこ」

はじっこが好きだ。
卵焼きや蒲鉾、羊羹、ゼリーのはじっこが大好きだ。

それには父の影響が合ったように思う。

父は卵焼きのはじっこや蒲鉾のはじっこをこよなく愛した。幼いころ、父とよく寿司屋に行った。カウンターではじっこを粋につまむ父の姿は真ん中ばかりたべていた子供の私からみると、なんだかかっこよかった。

はじっこには味がぐっと詰まっているように思う。我が家の食卓でははじっこが取り合いになっていた。しかし、私が二十歳を過ぎてからは妙な譲り合いが始まるようになった。大人になったのを実感したのはこの時だった。

居酒屋でははじっこが手前になるように相手に勧める癖がついた。しかし、気を遣われてはじっこを喰われたりすると、説明できぬ怒りにふるえ、何て言うか、もう、暴れそうになるのだが、大人だから、がまんしていた。

私は特にゼリーや、寒天、ヨーグルトなど咀嚼しないモノのはじっこ(これって、はじっこだったのか?)が好きだ。

このはじっこはスプーンを刺すと一瞬こらえた後にぷすっと刺さる固さであるべきだと思う。だから、上が半生ゼリー見たいなやつは腹が立つ。た○みなどの、密封タイプのモノは特にだめだ。彼氏に「半分あげるねぇ」と、上半分キレイに食べるのはいつものことだ。

ゼリーのはじっこにはドラマがある。切なさがある。そして、中の柔らかさを守る優しさまでも持ち合わせている。私は今日もああ、ありがとうと思いながらはじっこをスプーンですくうのである。

大きくなって知ったことだが、父が寿司やではじっこばかり食べていたのは、はじっこはタダだから。だった。

sakura

 
next prev.