月別アーカイブ: 2013年7月

紅い花が赤い。「紅い花 つげ義春カラー作品」

昨日本屋で見かけて思わず買ってしまいました。

紅い花 つげ義春カラー作品集

収録作品は以下です。

  • 紅い花
  • 通夜
  • もっきりやの少女
  • 李さん一家
  • 峠の犬
  • チーコ
  • 不思議な絵
  • ねじ式
  • 山椒魚

69年の「漫画アクション」再録時に2色刷りになったもので、山椒魚と沼はモノクロですが、それ以外は2色です。

第一の感想は、私自身つげ作品にはほとんどモノクロばっかりでつきあってきていて、勝手な色をつけていたなあというもの。その色との差異を見つけるのは大変楽しいものです。つげ作品には色が気になる部分も多いですよね。当然表題の紅い花とか、チーコのくちばしの色とか。そこらへんが(作者の意図が本当に反映されているのかどうかはともかく)色々明らかになります。

なお、塗りは誰が見てもすっごく雑ですので、その点了解の上購入いただくのがよいかと存じます。また、つげ義春が気になるけどまだ読んだことがない、という方は、この本よりは想像力の余白をもう少し置ける白黒の文庫版から入ったほうがいいんじゃないかなあと思います。これは1ファンの勝手なオススメですので、無視して構いません。

ともあれ、全てのつげファンの下世話な関心事として、チヨジの乳首はカラーになると何色で描かれるのか、という問題がございます。そこらへんはこの本でしっかりと目の当たりにしていただくというのは大変価値がある点ではないかと思います。私の感想は「うわあ」です。皆様もどうぞ目に焼き付けていただければと存じます。

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藤原マキ「私の絵日記」とつげ義春「外のふくらみ」について


おごらない人

「ボクはね。」

渋谷駅のほど近くに古くからある立ち飲み屋で隣になった男性は、焼酎と氷の入ったグラスにぬるいホッピーを注ぎながら私に言った。

「今の仕事しっかりやれてると思うんスよ。」

彼は空になったホッピー瓶をグラスの上で逆さにしてピッピッとしずくを払いながら続けた。

「まあ、そんな大したことじゃないんスけどね」

10分くらい前から1人でこの店に来た私は、これまた1人で出来上がった彼の恰好の話し相手にされていた。

「でも一つだけ自信を持って言えることがあるんス」

私はチューハイをごくりとしながら横目で続けて、と促す。

「決して驕らないってことッス。これは絶対曲げてないス。就職してから自分に言い聞かせててここまで来れたんス。マジこれはみんなに言いたい。」

うん。

「俺は就職して、いろんな奴見てて分かったんス。人の言うことを聞かない、驕ったやつから落ちていく。マジ、人、謙虚にならないとダメッス。俺なんか鬼のように謙虚っす。」

鬼。

「それがみんな分かってなくて。何回俺が謙虚になれっ、先輩の言うことを聞けっつってもみんな分かんないんス。それで結局人間関係ダメにしてるんス。ほんとなんでこんな単純なことが分かんねえのか俺には分からないス!」

うん。タバコを一服。

「俺は学歴とか気にしなくて。俺のファンデーションは高校にあって。そこなんだと思うんス。学歴とかそういうの気にするからダメになるんス。俺は分かってるんス」

うん。ファンデーション。

その後、ファンデーション話にしばらく付き合って、私は二杯目のチューハイを飲み終えたところで退散することに。そのそぶりを見たところで彼は慌てて私に言った。

「いやーすんません!話に付き合ってもらって。楽しかったです。でも兄さん、全然飲んでないッスね!(笑)おれ、出します」

「うわー、いいですよ。…おごらないで。そういうのよくないんで!」

「いやいやいやいや、兄さん、それじゃあ俺の気が済まないんで!たのんます!俺のプライドが許さないんス!」

結局、徹頭徹尾おごられっぱなしで私は店を後にした。

「謙虚さ自慢」がナチュラルに抱える恐るべき自己矛盾の罠に陥った男の話である。


傘を地面に水平に持つ人間への対処法

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傘を地面に水平に持つ人が苦手です。あるいはブンブン振りながら歩く人が苦手です。

その行為が危ないということよりも、そうやって持つ(振り回す)ことで、誰かにぶつかったり、あるいは尖った先っぽを人の近くに突きつける可能性がある、ということに対する想像力の無さに対する苛立ちのほうが強くあります。

特に階段やエスカレーターを上るときに傘を真横に持っている人間がいると、顔のすぐ前に傘の先端が来ます。このケースになってくると、いよいよ「この人は正常な知能を持って社会生活を送ることができていないのでは?」と思います。地獄の業火に焼かれて死ぬべきである。

…とまあ使い古されたネタを使って憤っているだけでは何も良くなりません。私たちはこの行為を無くす、あるいはこの行為により不快な思いをした人間の心の平静を取り戻さなくてはいけません。今回はそれについて考えてみます。

ひとまず思いつく対応策としては以下のようなものがあります。

・面と向かって指摘する
実際の行為をやめさせるのに効果的でしょう。ただし、指摘する側のエネルギー消費が大きいのと、指摘を受けた人は不愉快に感じ、反感を覚えられやすいので結局逆効果になることも多いと推測します。

・ネット上でグチグチ文句を言って群れて傷を舐め合う
まさに冒頭で私がやっていることです。不快に思った側の心を解放する行為ですが、まあこうしたことをするのは仕方ないと思います。グチグチ言うことの情けなさと、正義面(づら)の間抜け面(づら)と、群れることの危うさを理解していればまあいくらやってもいいんではないか、とは思っています。ただ、問題そのものの解決には全く近づくことはできません。

・自らぶつかりに行く
三谷幸喜氏などが提案している方式ですが、傘を水平に持っている人に対して自分からぶつかり、うぉっ!と痛がります。真っ当な人なら自分の傘の持ち方が悪いのだ、と認識して、傘の持ち方の危険性を少しは意識するようになるだろう、という方法です。三谷幸喜氏の作品はあまり好きではありませんが、この解決策は大変優秀かもしれません。とはいっても、やはり自然にぶつかったり、痛がったりする演技力と度胸は試されるので、誰でもこれを実践できるわけではないでしょう。

とまあ、以上挙げた対処法、それぞれ一長一短あります。しかし、もう少し根本から解決する方法はないか・・・。
考えた結果、私は以下のものを思いつきました!それがこれです。

・傘にベルをつける

えーっと、あの、まあ聞いて下さい。

吉田戦車の「伝染るんです」という漫画にこんな話があります。

人が多く行き交う商店街の真ん中を槍を構えた人が走る。槍には自転車のようなベルがついていて、チリンチリンと鳴らす。人は「こんな道で槍なんて危ねえなあ」と言いながらも避ける。

私はこの話が大好きでして。槍を構えて往来を走る危険行為が、ベルというアイテム1つの出現で一気に無目的なものになるのです。だって、槍は人を傷つけるものでしょう。で、ベルがあるというのは避けて!ということを伝えるってことでしょう。これが合体すると大変劇的な無目的物が出来上がるわけです。素晴らしいですね。そしてそれがひいては槍を持つという行為自体への可笑しさも浮かび上がらせるわけです。

そいういうわけで、この話を応用してですね、世の中で売る全ての傘にベルをつけます。そんなの不可能とか言ってんじゃないですよ、つけるんです。柄のあたりに。そんで、傘をさしているときに当たりそうになったらチリンチリン鳴らします。傘を閉じたときは水平に持って、いつでもチリンチリン鳴らせるようにベルに親指を当てて歩いきます。誰かに当たりそうになったらチリンチリンと鳴らすんです。どうですか。「どけどけ!」とばかりに鳴らすわけです。ただ傘を地面に垂直に持てばいいだけなのに、人に先端向けて雨の日はチリンチリン鳴りっぱなし。

「ギャー痛え!」「ベル鳴らしただろ!」「よけろよ!」

ああ、なんという美しい無目的世界。私はこの世界を傍から眺めていたい!もちろん、絶対行きたくないけども!

・・・・ということで、まったく解決策になっておりませんので、本施策については撤回させていただきます。
何かご質問がありましたらお気軽にお問合せください。以上今後ともよろしくお願い申し上げます。