月別アーカイブ: 2014年11月

2014年に聴いた曲とその聴き方

11月も下旬に入り寒くなってまいりました。まだ12月に入ってもいませんが、少しずつ夜の寒さがこたえるようになってくると頭の中の腐葉土で総括の虫が蠢き始めます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

趣味の1つが音楽鑑賞なので今年も新旧問わずそれなりに音楽を聴いてみました。

30代を超えてくると加速度的に音楽を聴く態度は変わってきますね。依然好き嫌いはありますが、妙なこだわりの類が消えてきて心が楽です。よりバカになったのでしょう。

全然関係ない話をしますけど。私の趣味のもう1つが居酒屋に行くことなので古い居酒屋を紹介するTV番組とかたまに見るんですけど。いくつか出ては消え、結局今定着しているのは比較的先行していた吉田類の酒場放浪記くらいなもんでしょう。

他の大衆酒場を紹介する番組などは、個人的にはどうもしっくりこない。なんというか蘊蓄に寄り過ぎていてうるさいんですね。知の香りを漂わせてすごく面倒くさいものが多い。そういう面倒な知をアピールする番組じゃなければグルメに寄り過ぎたものばかり。旬の魚がとか酒の味がとか。まあ情報はありがたいですが、個人的には客観的にうまいものは興味がないのでどうも自然と拒否しますね。

吉田類はその点、そこはかとない痴の香りがしていいんですね。ただ居酒屋の場にいてビール飲んで「ムホッ」とか言ってる。説明も中途半端。これがまた「役に立たない」ことを意識したいわゆる演じるバカな感じでなく、ほんのりダメさが滲んでくる中途半端さがよいのです。一定の素晴らしいバックグラウンドや知識はおありなんだと思いますが、それを意識させない。圧倒的な空白。エポケー(響きだけ)。

きっとそれがあの番組においてうまく作用していて、居酒屋としての場、空間が際立つようになっている。それがたぶん支持に繋がってるんだろうな、と思いました。

吉田類に関してはニュートラルな感情を持っていますが、その点とても尊敬しています。

なんの話でしたっけ。ああ、はい。今年聴いた音楽。音楽に関しても、自分がだんだんそういった楽しみ方ができるようになってきたなあ、と思っているところなんですね。聴く自分をいくぶん透明にして、曲をスーッと体に通すというのが気持ちいい。それがたぶんきっと自分の性に合ってますね。

と、まあここまで前置きが長い時点でアレなんですが。

なんとなくここまでしぶとく読んだ人は予想がついていると思いますが、書いていて総括の虫が再び寝始めたので、また来年ですね。あと1ヶ月と来年もいい音楽に会えますように。


アニミズムについて

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さっき古い定食屋で昼飯をかきこんでたら、店内でかかっているラジオからこんな話が聴こえてきました。記憶を頼りに書いているのですが、大体合ってると思います。

みなさん、アニミズムってご存知ですか?今日はアニミズムに関する××さんからのお話です。


先日10年乗った車を買い替えました。

これまでずっと乗ってきた車ともこれでお別れ。いろんな思い出をこの車と一緒に作ってきました。だから、お別れの前日に感謝の気持ちを込めてお経をあげてもらったんです。

そして納車の日。とてもピカピカな車がやってきました。でも古い車とはここでサヨナラ。

それで、古い車を出すためにエンジンをかけたんです。すると、車のエンジンが10年乗ってきて1度も聞いたことのないような「ぶおおおん」という音を立てたんです。とても大きい音で、私には泣いているように聞こえました。何度エンジンをかけても同じ。ついには私も、この車と行った様ざまなところを思い出して泣いてしまいました。

きっと、この泣き声は、「これまで乗ってくれてありがとう」っていう感謝の嬉し泣きだったんですね。車はうおおおんという音を立てながら業者の人に運ばれていきました。私はありがとう!と去っていく古い車に伝えました。

物には魂が宿る、っていうのは本当だな、と思ったエピソードでした。
これから新しい車を大事にするからね!

まず、感謝の気持ちを込めて「お経をあげる」。これはよく分からないけど、そういうのもあるのかな。まあ本人満足ならそれでいいんだろう。それから、ぶおおんという異音がして泣いているように聞こえた。これもあると思う。泣いてしまうのも仕方ないかもしれない。

でも「きっと、この泣き声は謝の嬉し泣きだったんですね。」というのはすごい。そう捉えられる自分への自信が。この流れだと普通、「別れるのがつらくなって、やっぱり手放すのはやめました!」とかそういう方向にいくでしょうよ!ねえ。

あと私だったら「使い捨てにして恨まれてる!呪われちゃう!」とかも思うかもしれない。

この疑いもなく物が自分に感謝しているという感覚、けっこうざわざわする。いい話なのかこれは。

まあいずれにせよこの話、「万物に魂が宿る」というより、「人は、自分に都合のいい人格を物に宿らせることができる」という話ではないか、としみじみ思ったのでした。